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あなたがいない世界

01

​三浦宏之インタビュー

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(メンバー揃ってのクリエーションが進んでいますが感触はいかがですか?)

 個人的、身体的に申しますと、痛いです。あくまでフィジカル的に筋肉が痛い、という意味ですが(笑)。
 今回は私自身も出演するということもあり、からだに掛かってくる負荷というものはここ数年で、一番大きいのではないかと思っています。前作の「いなくなる動物」も出演はしていましたけど。その時は、なおかさん(上村なおか)とのデュオということで、二人分の身体を負えば良かった訳ですが、今回は自分も含め、五人分の身体を負わなければならないので、それなりにからだにきますね。活動再開公演となった、Moratorium endの時はダンサーが8人だったのだけど、私自身は創る側に専念していたので、かかってくる負荷のようなものは、今回とは全く違ったものでした。前作より、カンパニーでの作品に創りながら出演するということを再開した訳ですが、やはりダンサーとして出演するということ(自身の作品を踊るということ)で生まれ得るダイナミズムのようなものは、強く感じているところです。
 それから、今回参加してくれている4人のメンバーそれぞれの強さを同時に感じています。皆、素晴らしいダンサーだと思います。そして私自身がそう思う以上のものを、何とか引き出さなければならないと、日々格闘している感じですね。

(今作「あなたがいない世界」を作ろうと思ったきっかけは?)

 これは、難しい質問ですね。
 ある人が、私にそれを創らせたという感じでしょうか。まあ、それはきっかけみたいなものなのですが。そのきっかけ以前から「不在」とか「いなくなる」ということについては強く惹かれていたところがあったので、そのような要素に対して、そのきっかけが引き金となったのではないかと思います。前作の「いなくなる動物」も近しいテーマで創作されています。嘗てそこにあったものがなくなるとか、近い未来になくなるであろうとか、あるいは「もともといない」とか、あらゆる不在という現象や状態をしっかりと詰めてゆくことで、逆にそれらの存在を証明することは出来ないだろうかと。あ、少し分かりづらいですかね?そんなことない?

 まあ、いいか。
 不在そのものを、実存から生み出すことが出来たら面白いだろうなと。
 今の時代って、まあ、今って何なんだという話もありますがそれは置いておいて、存在の概念が、例えば30年前とは明らかに違っているのではないかなと思うんです。
 自身の存在を疑うという本質的なことは、古い昔から行われてきたことですが、その疑いのようなものは、自身への問いかけであり、人間への問いかけ、総じて身体または身体を伴う意識への問いかけであったと思います。でも、現代は何に向けて問いかけているのだろうかと。その向かう先は、この30年くらいで大きく変化したように思います。ひょっとしたら、いないもの(身体不在のもの)への問いかけなのかも知れない。と、思えば「あなたがいない世界」は既にこの世界に蔓延っているのではないかと考えたのです。

(不在の存在を証明していくという方法ですが例えばどういう感じなのでしょうか?)


 まず「いない」とはどういうことなのか。とか、不在とはどういった状況のことを語っているのかを考えてゆくわけですが。不在というのは一種、欠落の状態としてそこにあって、欠落という言葉を辞典やネットの辞書などで調べると、もともとあるべきはずのものがない、というような意味合いで語られている場合が多いです。あるべきはず、とか、ある一部、とか。基本的には「いない」ということ、不在は、もともとあるものが、ない。もともといる人がいない、という状況のことを指しているようです。要するに、いない、という状況は、そもそもそれが、いる、あるいは、いた。という前提条件のもとに立ち上がっています。それが、不在ですね。不在とは、存在の欠落のことを言い、無ではない。どちらかと言えば、不在であるものの、その存在自体を指していると。しかしながら「いない」という言葉には、もともといない。存在しない。という「無」そのものも含まれると考えられます。
 いる、から、いない。に変化することは可能です。例えば、死がそうですね。あるいは、失踪とか、行方不明とかもそうですが。さっきまで部屋にいた人が、出て行っちゃった。というのもそうです。しかし、その場合は、存在していたことが前提にされているから、いない、という状態は、その人が以前「いた」、あるいは、ここではないどこかに「いる」ことに重きが置かれます。ちなみに、死は、その状況に変化してからの、永遠の不在であり、無になるわけではありません。
 話が傍に逸れましたが、いる、から、いない。に変化することは可能なのだけど、もともといない状態、実存すらしていない「無」の状態から、いる。に変化することは、自身の意思においては不可能です。もともといないので、意思すらないわけですから。
 しかし、もともといない状態。いわゆる、無とは、存在とは無縁の状態なのか?という疑問が生じます。例えば、生まれ得なかった、命。というものがそれに当たります。それは、存在する人の記憶や、観念の中では生まれているような、存在しているような気がします。そういった、形成されなかった、具体化しなかった、もともといない存在としての、不在。そういったものも含めての不在を、たった今、存在して、ここに「いる」身体(今回で言えば、5名のダンサーですが)によって、不可視のものとして顕在化する試みのようなものを、一つの証明として描ければいいなあと思っています。



(それは、不在という現象の在り方自体を問い直すよう感じなのでしょうか?)
 


 そうかもしれません。まあ、そんなことをわざわざしなくても、と、自分でも思いますが(笑)。
 いない、ということが、いるという前提条件を必要するならば、その条件をとっぱらってみようという。無条件に「いない」という状態は、本当に無と言えるのか。そんなことを、お客さんに問い直すわけではなく...自分自身に問いかけているような気もします。

 


(「存在の概念が30年前とは明らかに違ってきているのではないかと思う」と先ほどおっしゃっていましたが、いないものに向かうこの作品をお客さんにどう届けたいですか?)
 


 戦後日本の経済成長や、インフォメーションテクノロジーの台頭によって、世界は大きな変遷を遂げ、日本も同様に急速に変化してきたと思います。特にITは人間のコミュニケーションの形態を大きく変えたと考えられます。時間に対してのコミュニケーション速度や、対話の概念も、それ以前とは驚くほどに異なります。私が子供の頃は最も速度が速かったのは、電話だと思いますが、その電話も一家に一台しかないという時代でしたから。
 それから、半世紀も経たないうちに、コミュニケーションツールはここまで発展しました。皆さんもご存知のようにね。さらにはSNS等で個人の情報を発信する際には、見知らぬ相手、要するに自分の近辺(自分を取り巻く世界)にはまだ存在しない誰かに対して、言葉などを情報化して発信しているわけです。それが良い、悪いということを語りたいのではないのですが、そのような状況は、まだ「いない」ものを「いる」と仮定して起こっています。ようするに「いない」は「無」ではない。「いない」や存在しない「無」のような中に、すでに可能体がある。考えようによっては、それは人間にとっての希望みたいなものとなり得るかもしれないけれど、そんなことは、30年前には考えもしなかったことです。
 そこで、一つ思うのが、現代の人間は、相手にいて欲しいからコミュニケートするのか、コミュニケートしたいから相手にいて欲しいのか、どちらなのかというところですね。先に、相手のからだがあるのか。それとも、からだが後回しにされているのか。ここは、問題提起ではないですけど、お客さんと共有したいところです。そして、作品を通して考えたい。
 いない、という状態を描くことで、いる(あるいは、いた)ことの重要性、普遍性といったことを、可能であれば、からだを通してお客さんへ渡すことが出来ればと思っています。コミュニケーションの原初のツールとして、今も確実にこの世界に存在している、からだでね。

(上演まであと一ヶ月となりましたが、本番に向けて意気込みなどありましたら。)

 

 

 意気込み。
 とにかく、作品を創ってゆく過程を楽しみたいと。不在というようなことをテーマに創ってゆく訳で、それはネガティブな要素から構成されていくことが多くなりがちですが、だからこそ、ポジティブでいられるかどうか、その過程を楽しめるかどうかが、作品の良し悪しを決めるような気がしています。
 舞台作品として楽しめるものを創るためには、それが鉄則ではあるのだけどね...。

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三浦宏之 Hiroyuki Miura

M-laboratory主宰/ Works-Mアートディレクター/ 振付家/ ダンサー'93年土方巽記念アスベスト館にて舞踏を始める。以降これまでにダンサー及び振付家として欧州、アジア、北米、南米、計21ヶ国45都市以上での公演に参加。'09年それまで活動していた東京から岡山に移住。10年間、岡山を中心とする活動を行い、'18年より東京へ戻り東京を拠点とした活動を再開。

'99年ダンスカンパニーM-laboratoryを東京にて結成。これまでに28作品を製作し国内外で上演。'02年よりソロワークを開始しアジアを中心に国内外で上演、振付作品製作、ワークショップ活動を行う。

'10年よりアートユニットWorks-Mを開始。これまでに8作品を製作し、東京・横浜・秋田・京都・神戸・岡山・福岡・沖縄にて発表。振付作品以外に「身体」をモチーフとした現代美術インスタレーション作品も発表。さらに'16年からはプロデュース・マネジメント業務を開始する。

'15年にはM・O・W M-Lab Open class & Workshopを開講し、国内各地にてワークショップやオープンクラスを実施するなどアウトリーチ活動にも注力している。

'17年M-laboratory東京にて活動再開。

近作は'16年横浜ダンスコレクションアジアセレクションにて上演された「クオリアの庭Garden of qualia」'17年M-laboratory 活動再開作品「Moratorium end」'18年東京・岡山・沖縄の3都市で上演された「いなくなる動物」がある。

横浜ダンスコレクションRソロ×デュオコンペティションナショナル協議員賞受賞。東京コンペ#2優秀賞受賞。

 http://mlaboratory.jp http://worksmlabo.wixsite.com/works-m

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