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2016/10/17 M-laboratory活動再開に寄せて〜小暮香帆インタビュー

2010年の活動停止後、2016年度活動を再開するM-laboratory。7年の時を経ての再開。活動再開からの新加入メンバーとなる小暮香帆と三浦宏之による対談。参加に至った経緯、M-laboratoryへの思い、来月に迫ったMoratorium end progress公演「終わる前」を前にした心境など、お二人にお話しを伺いました。

 

【今回M-labo再開にあたり唯一の新メンバーとなる小暮さん。幼い時からモダンバレエをしていたとお伺いしていますが、踊り始めたきっかけはなんだったんですか?】

 

小暮:モダンバレエは6歳の時にはもう始めていましたね。始める1年ぐらい前、教室の発表会を観に行ったんです。その時、舞台で踊っている人達を観て「恥ずかしくないのかな?」と思っていましたね。踊りはすごく良かったんですけど、自分は絶対やっていけないって思って。それが1年後には「なんかやりたい」ってなってた(笑)。

 

【最初そんな風に思われていたんですね(笑)。では、ここからはM-laboについて色々伺っていきたいと思います。小暮さんはこれまでにM-laboの作品を観たことは?】

 

小暮:無いですね。でも、「停止。」は映像では見たことがあって。三浦さんからDVDをもらって、まだ持ってます。

 

(それ以外の作品は?)

小暮:無いですね。

 

【M-laboに小暮さんが参加するに至った経緯など教えていただけますか?】

 

三浦:まずは最初、彼女が日女(日本女子体育大学)在学中に学校の企画でみつ(笠井瑞丈)となおかちゃん(上村なおか)の振付で踊ったんです。その時の作品を僕は観ていないんですけど。その後、みつとなおかちゃんの自主企画公演「6elements」にも彼女は出演し、そしてその公演に、僕がアフタートークのゲストに呼ばれて行ったんです。それが彼女との出会いですね。これはもう、僕にとって結構強い香帆さんのファーストインパクトなんだけど、リハーサルが終わって「本番の準備です!」となった時、出演者が皆お化粧をし始めたのね。その時、香帆がみつに「瑞丈さん、化粧した方がいいですか?」って聞いていて(笑)。「おっ!なんだこいつ!?」と思ったのが最初。そういうところをなんの気無しになんとなく流れでやっちゃうんじゃなくて、そこでそのことを聞くというところがひっかかったんだよね。ただ化粧するのが面倒くさかっただけかもしれないけれど(笑)。その時のみつは、こう(顔をしかめながら)「当たり前だろう。化粧しろ。」って言ってたんだけど(笑)。ダンサーとしても、シックスエレメンツの出演者の中で僕の印象に強く残ってるのは香帆かな。それで何か知れないけど...長い、話長いね。


小暮:いや。結構ね、大事。大事、大事なことです。

三浦:その後、みつが日女の企画に「次は三浦さんの作品を」と推してくれて、その企画をやることになったんですよ。僕はもうその頃、東京から岡山に移住していて、参加する学生にとって当時は「三浦宏之って誰?」って感じだったと思うんですよね。でも、みつが「三浦さんの作品は絶対出た方がいい」と香帆やその仲間達に言ってくれたらしくて。そこで僕が、香帆さん含め11人の大学生のダンサー達に振付たのが「無題」という作品ですね。その後、この作品から「からだ三部作」っていうのを考えて、三部作最後の作品が岡山・福岡・東京の3都市をまわって上演した「とある場所とあるからだ」(Works-M Vol.4 2012年※小暮も本作品に出演)。その頃から、香帆さんとはダンサーとしてこれからもお付き合いしたいという思いがあって、狂喜乱舞シリーズ(2015年)への出演をお願いしたり、6月のsolos...(2016年)で彼女のソロ作品の上演をお願いしたんです。

M-laboを復活しようと本格的に考え始めたのは2015年に入ってからですね。「いずれは開始するだろうな」という感じはあったんだけど、2015年に「もう、やろう」という踏ん切りをつけて。ちょうど「クオリアの庭」(Works-M Vol.7 2015年)が動き始めていた頃に、なおかちゃんとさいさい(斉藤栄治)とクリエーションしていく中で、M-laboをやった方がいいなと。今っちゃん(今津雅晴)も、ちょうど海外から日本に帰ってきていたし、皆それぞれ個人の活動が忙しく活発になっている中で逆にやろうと。忙しいのに(笑)。皆それぞれに活発に活動している今、M-laboはそんな人達と東京で再開したいという思いのなかで、再開する時にはこれまでM-laboに参加したことのない人、新しい人を入れたいという思いはあったんですね。新しいメンバーを考えた時に「あの人とかこの人とか」みたいなのはあるんだけど、前やっていた10年のメンバーと、もう既に一緒に居るなみたいなのは香帆しかいなくて。みつ、なおかちゃん、まる(丸山武彦)とも仲いいし、さいさいとも仲いいし。突然「宜しくお願いします」という関係よりも、最初からクリエーションに普通にいられる人が良かった。そうなるとやっぱり香帆しかいない、ということでお願いしたという経緯です。話長いね。(笑)

2016年 solos...Vol.1 小暮香帆「DEN」写真:黑田菜月

【M-laboratoryへの参加を依頼された時はどうでしたか?】

 

小暮:その時は、びっくりしましたね(笑)。「おおぉぉぉ、そうか。三浦さん」っていう感じ(笑)。

 

(ある日突然?)

 

三浦:メールだよね。

 

小暮:メールですね。

 

三浦:お願いは、最初全員一斉にメールで。

小暮:「あ!メールが来た!」と思って内容を読んで。じゃあM-laboに出るんだな、他に誰が出るんだろう、他にも新しい人がもう一人か二人いるかな、っていう予測で宛名を見てたら、あれっ?て(笑)。なんか私だけ新しく入ってるぞみたいな、結構びっくりしました。始めて三浦さんの「無題」に出演した時には、なんとなく漠然と思っていた気がしますね。M-laboに出るっていうのが色々ある中の一つの夢だなって。M-laboの作品を実際に見たことはないけれど映像を見たりして、いつか...いつかM-labo出たいなっていう漠然とした夢。すごいびびってますけど。

 

(びびってる?)

 

小暮:うん。緊張するというか。ね...でもあんまり考えすぎずに。

 

【いよいよ来月11月の「終わる前」がM-labo参加の初作品になりますね。】

 

小暮:そうですね。M-laboの方達のなかで、最初に瑞丈さんとか、なおかさんと出会って。二人との出会いは振付家とダンサーという関係で、そこから今度は幾つか作品に出て、振付アシスタントとかしていくようになって。どんどんこう立場っていうか、立場は一緒なんですけどお互いの距離が変わっていくというか。そして今回なおかさんと一緒に踊る、という。なんかね、結構不思議で感慨深いというか。

 

三浦:なおかちゃんとこれまで一緒に踊ったことはあったんだっけ?

 

小暮:瑞丈さんの「風の記憶」っていうセッションハウスで上演した作品で一緒だったんですけど、でもそれは出演者が5・6人いて、そんなにこうがっつり一緒っていうシーンはあんまりなくて。その後は「ハヤサスラヒメ」のメキシコ公演で一緒でした。でも、その時もなおかさんはオイリュトミーで、私は女性4人のパートで出ていたんで。なんか、そう。そうなんですよ。

 

(では共演はしたことがあるけれど、ここまでの近い距離感というか関係の中での共演は初に?)

 

小暮:そうですね。

 

【「終わる前」のクリエーション期間は1週間ぐらいですか?】

 

三浦:土日が本番だから、実質は月〜金の五日間ですね。

 

(どんな感じに進めていかれる予定ですか?メンバーは全員揃うわけではない?)

 

三浦:今回全員は揃わないですね。ネタバレ要素があるので、ここからはなんて言えばいいんでしょうね。ここだけの話になるかも知れないですけど。M-laboって初期の頃は、なんか男性、男だけのカンパニーみたいな感じがあって。実際初期の頃から女性も出てるんだけどね。なんか男臭いっていう意味で、基本男中心でヤローどもが集まってるという感じで若い頃は初めて。でも女性を入れたくないというわけではない。特に今回の「終わる前」はなおかちゃんと香帆には、とにかく参加してほしいなと思っていたんですよね。11月のレジデンスクリエーションへの参加に関して、なおかちゃんが「大丈夫。是非!」と言ってくれ、そして香帆も来れると言ってくれて。これからのM-laboは男だけのカンパニーっていう感じではもうないので、結構「Moratorium end」は女性の方が強いものになると思う。なんか6人の男が二人の女に手のひらの上で転がされているような。わからないんだけど。ただ単純に男だけっていう感じではもうないですね。意外に女性の印象が強いのかもしれない、ここから先。ということで「終わる前」は香帆にも参加いただけて非常に嬉しいなと思います。

 

【小暮さんには何度も岡山にお越しいただいていますが、場所を変えてそこで生活をしながら作品を作っていくということに対して何か感じていることがありますか?】

 

小暮:始めて岡山で踊った「とある場所とあるからだ」の時は、岡山行ってそのまんま福岡に行ったんですよ。だから結構長い旅になったんですね。やっぱりこう、クリエーションもあって、本番もあって、移動があって、また違う場所に行ってと、体力的にはハードだと思うんです。けどなんか私の場合、逆に不思議と体が楽になっていったんですね。すごく軽くなっていったんです。それはなんでだろうと思った時に、やっぱりこう、お客さんが初めて会う人ばかりじゃないですか。だから誰にも自分を見てもらったことがないっていう状況がすごく新鮮で、だからこそオープンになれるというか、そういう経験をした感じがあって。やっぱり東京だと、ダンサーの友達とか、知り合いに多く会うんですね。どうしても常にダンス畑の人と会うことが多くて、新しいお客さんに会う機会っていうのが以外と無いから。移動してやればやるほど、そこで見てくれた人とかどんどん広がっていく。人と出会えるのが一番なんか好きなんだなっていう感じがして。なんていうんですかね、なんの話でしたっけ?(笑)。

だから、岡山に来ることは自分の中でかなり大事ですね。

 

(「終わる前」も「Moratorium end」に向けて、人も場所もどんどん変わっていく中で、そういうのがところが楽しみですよね。)

小暮:とっても自然なこと、な感じがするんですよね。なんて言うんだろう、自然の感じがする。難しい...なんて言ったらいいかな。当たり前のこと。本来人間にとって当たり前のこと。流れがある気がする。自然に集まって、離れて、またそれが集まって。なんかすごい循環...循環っていうか、めぐりがいい感じがするんですね。やっぱなんかね、結構自分がそういう風になってない理由が最近わかって。カンパニーに所属してない理由。所属できない人間なのかもしれないですけど(笑)。やっぱりこう家族みたいになっていったりとか、関係がぐっと密になる感じよりも、ちょっとある程度隙間があるというか、なんかその隙間があった方が私は好きなんですね。

(これまで上村なおかさん、笠井瑞丈さんにもお話お伺いしてきましたが、お二人とも香帆さんと同じような感覚を持たれていたように感じます。)

 

小暮:そうですね。

 

三浦:みんな一緒です。

 

小暮:なんかそれがいいですよね。

 

三浦:あの、何でしょう。あ、話に入っていい?(笑)。みつのインタビューでもさ、「僕はメンバーになったことはない。常にゲストダンサーの気持ちです!」みたいな。だからその、カンパニーっていう概念というか定義みたいなものって人それぞれあって。例えばね、ヨーロッパみたいにさ、カンパニーがあって学校があって、国からお金を貰って、みたいなね。かっちりしたカンパニーだったら、もちろん給料払って雇っているわけだから、ガツっと拘束されたりみたいな感じは当たり前なんだよね。何故ガツっとなるかっていうと、それが職業だからっていうすごくクールな考え方があるからなんだよね。だから、例えば週4回レッスンがあって、クリエーションが始まったらタイトにフィックスされた中で作品を作っていかなくちゃいけない。でもそれは、ちゃんとそれで生きて、それで生活ができるプロの職業としての職業ダンサーだから。だからダンサーとカンパニーはクールな関係で成り立つんだけど、日本ってそういうカンパニーが少ないと思う。自分でM-laboを始めた時から、とにかく皆やりたいことがあったらやってくれっていうのが僕のスタンス。だから僕もM-laboやりたいんだって言える。M-laboで作品やりたいってなった時に、例えば香帆が同じ日に別の本番があるってなったら、どうするかは香帆が選べばいいし、その拘束力を僕は持ってないです。だって、香帆を雇ってるわけじゃないから。作品を一緒にクリエーションしたいっていう対等な立場でやってるわけだから。ラフなスタイルというか、肩肘張らない状態でクリエーションに集中したい。変なことで、こうなんだろう、関係性とか集団みたいなことでクリエーションの集中が削がれるのがやだ。だから僕がカンパニーメンバーだって思ってるのは、みつはそう思ってないかもわからないけど(笑)。この人が作品に出れない場合がある。例えば次、みつが出れないってなった時に、その「みつが出れない」っていうことを僕は背負わなくちゃいけない。みつが不在である作品を作るために努力しなくちゃいけない。基本は全員いてくれるのが一番いいし、作品によっては、この人とこの人ということもこれから先は多分あると思う。でも基本は、強制はしないけどそこでなんとなく準備はしていて欲しいっていうぐらい。「なんか三浦さんやるって言ってるよ。ちょっとスケジュール気にしとかないとね。」みたいな。手帳とか見て「あ、なんか予定入ってる」ってなったら僕を突っついて欲しいんですよ。「あの...予定入ってるんでリハーサルとかどんな感じ?」って。みつとかはしっかりそれを聞いてきてくれるから「その頃はこれとこれがある」って。なおかちゃんとかもリハーサルとかどんな感じで進めるかとか聞いてきてくれる。その辺り彼らはちゃんとカンパニーメンバーなんだよね。メンバーっていうのはちょっと肩肘張っちゃってるんだけど、でも僕はメンバーとして考えている。でも拘束はしたくない。好きなことをやってほしい。だから、ふわっと離れて、やるっとなったらふわっとこう集まれるぐらいのものが多分一番いいんだと思う。今回から集まる場所は東京だけでなく、多分岡山はその場所としては入ってくると思うし、他の場所もあり得るんですね。それは「クオリアの庭」で結構下地が作れているんで。京都でやることもあるだろうし。

 

小暮:京都は修学旅行から行ったことがないですね。まだ踊りには行ったことがない。

 

三浦:京都はおもしろいと思う。

 

小暮:ねぇ。そう思います。

 

三浦:この前、みつが締めの言葉で言ってた「実態は無いんだけど、なんかやるってなった時に形が現れるぐらいのもの」が僕のカンパニーの考え方なんで。だって、やって欲しいんだもん。もっといっぱいさ、香帆とかさ、みつとか今っちゃんとかさ、もっといっぱい自分の作品をやって欲しいし、色んな振付家やアーティストと作業して欲しい。それは、実は言ってしまうとM-laboでやる時の僕の一つの財産というか、力になっていくわけ。ある意味、僕はそこを利用しています。だからもっとやって、ダンサーとして人間として、しっかり自分を肥やしていって欲しい。そんな人と一緒に私は作品を作らさせてもらってるんだな、という気持ちはずっと持ってるから。だからやって欲しいんですね。

小暮:なんかね、「とある場所とあるからだ」の時。あの時はまだ大学卒業してっていう時か。なんか東京公演があった時に、自分のその...未熟さというか。なんて言うんだろうな、もうちょっと積み重ねているものがあれば、もっと人も呼べるとか、色々考えて。だからそのあとに、ソロとか自分でお客さんを集めるっていうことをしなきゃだめだなとすごく思って。ダンサーとして育たないといけないというか、それはその時すごく感じたかな。だからそのことは、ソロをやるきっかけに結構なっている感じですね。なんかこう、若いダンサーがピョンって出て、ピョンピョン動きましたじゃなくて、なんて言うんだろう...責任というか。「小暮香帆」っていうダンサーとして出るってなった時に、人を集められる、ある程度(笑)。なんかこう、気にかけてもらえるためにはやっぱりやらなきゃいけないって、思いましたね。というのが結構あります。

Works-M Vol.4 とある場所とあるからだ 写真:松永亜紀子

三浦:香帆は「とある場所」が終わって以降、すごく活動の範囲が広がっていったなっていうのは感じていて。活動の幅を広げていろんな人に出会うことで、振付家やダンサー、それだけにとどまらずアーティストになっていく。要するに、表現者・芸術家って、ダンスを踊っている人とか、振付をしている人ではなく、振付とかダンスを通して何か表現を、生きることで表現活動をしていくということが必要になってくるんですよ。香帆はもうそこに行き始めて、そしてすごく広がっていると思うんだよね。広がったところで何もキャッチしないで活動してますって喜んじゃう人もいるんだけど、そこからちゃん何かをキャッチする感性みたいなものを香帆は持っているかなと思う。だからすごく強いんだよね。しっかりアーティストとして立っていくっていうことを、香帆は天性として持ってやってるのかなっていう感じはする、この年齢でね。僕、大学時代くらいからなおかさんを見ていて、当時のなおかさんみたいなものがあるのかなとも感じる。大学生ぐらいから、ただのダンサーになりたい人ではない、ダンスとか体で表現することを通して、何かもっと普遍的なことを表現活動していく。生きることとかはそういったことだよね、多分。人とは何かみたいなこととか、哲学的なところに入っていくんだけど、意外にこういう質感の人って女性のダンサーではなかなか出会えないなと僕は思ってますね。もっとがっついていたり、何もキャッチしない人もいるし、それがいい悪いじゃないですけど。やっぱりそこで一つ芯を通していくというか、自分の活動と自分の表現。多くの人と出会おうとして、出会いの中で自分というものの立ち位置をちゃんと見定めていこうとしてるというか。

 

小暮:これまで、オーディションとかは一回LUDENSを受けたぐらいで、本当に繋がりでしかやってきてないというか。だからこそ、それが大事なんだってだいぶ経験と体験してる。例えば貞太さん(岩渕貞太)との出会いも「とある場所」がきっかけで。「あ!この時に見てたんですね」とか、「この時に出会ってたんだ」っていう人が、いつ次に繋がるのかわからないから。だからほんと一個ずつとにかく大事にやるしかないって感じですかね。うんうん(笑)。あとは基本的に出会ってきた人がみんな良い方だった。やっぱり叡先生(笠井叡)と出会ったのもすごく大きくて。叡先生に「ダンスわからないですよね」って言われて、「あ、わかんなくていいんだ」って。そこで、なんか若者でこう競り合うじゃないけどガツガツするような、そういう妙な焦りがなくなったというか。あと、M-laboの人達のその時にしか出せない良さっていうか、私には絶対出せない色気とか、なんていうんだろう、居かた?存在の仕方?舞台上での。それって多分、掴もうと思っても重ねていかないとここまでいけないもの、っていうことに気づいたというか、そう思って。お父さんでもなくお兄ちゃんでもないお姉ちゃんでもない、その絶妙な間で、とてつもなくなんか面白い人達がいるんだって知ったんですね。その人達を知って、踊り続けていってみたいなって思えた。そんな風に思える人ができたっていうのは結構大きいかもしれない。そういう感じなんですよ。そんな人達とこれから一緒にやってみた時にどうなるのか。どうなるんだろう、三浦さん(笑)。

 

三浦:いや、僕はそこはめちゃくちゃ楽しみですね。僕の中では具体的に香帆と誰っていうイメージはあって、なおかちゃんと香帆が立った時のイメージと動きの質感の違い、そういうのはもうある。イメージするのは、楽しい作業ですね。文章を書くことでイメージを膨らましていく、イメージを明確にしていくっていう一番面白いところを今やっているんで。ここからクリエーションが始まって、体と体で対峙して流動的に具現化していくのが大変な作業なんだけど。でもそれは踊りを作る上では必要なことじゃない?

香帆とみつっていうのはもう結構具体的にあるし、なおかさんと香帆とか、まると香帆とかも考えられる。でもね、なぜか今っちゃんと香帆っていうのはあんまりイメージないんですよ(笑)。今っちゃんと逆になおかちゃんは少し二人っていうイメージはあるんだけど。あとヒデちゃん(鈴木秀城)と香帆とかって絶対面白いんですよ。もうね、おそらくおじいさんと孫みたいな瞬間が出てくる可能性がある。なおかちゃんとかよく言われることだけど、すごく老女に見えたり少女に見えたりする。そういったものをヒデちゃんも持っているんで。なんかそこら辺は、楽しみにしているところです。

 

小暮:なんか三浦さんの作品って、終わってからしばらく引きずるんですよね(笑)。

 

三浦:(側にいた笠井瑞丈さんに向かって)そんなことないよね?あ、聞いてない(笑)。

 

小暮:いい意味で、引きずるんですよね。ずっと、ずっとこう、どこかにこう、まだいるみたいな。まだある、アァァァっていうぐらい。本番に向かって、それぐらい体に染み込んでいく作業をかなり深いところまでやっていかないといけないというか。

 

三浦:これは語弊があるんですけど、ダンスっていう言葉をあんまり信用してないんで、僕。まあ、グローバルに考えるとダンスっていうことになるんだけど、輸入言語じゃないですかダンスって「dance」っていう。僕の土着的な感覚にはないんですね。だから踊りとかの方がまだ合っている感じ。別に表現したいのは踊りじゃないわけで、踊りを作るっていうよりも人の体や踊りを通して、世界の有り様とか、一人の人間の死生観とか、なんかそういう部分で作品を作っている。要するにダンス作品というよりも、もっと文章的なものに近いものになるのかもしれない。ものの考え方とか世界の在り方みたいのものを作品にしたい。でもやっぱりダンス...ダンスっていうか体じゃないと語れないんですよね。文章では語りきれないものがやっぱり体にはあるので。だから今はなんとなくコンテンポラリーダンスという、土壌っていうか状況を利用してやっている。でもかといって、演劇みたいに体もあって言語も具体的に表現としてあるっていうのも僕にはちょっと違っていて。もっと抽象的である空間、時空が抽象的にパッチワークされていくようなもので表現をしたいと思っている。ダンスとか体っていうことではなく、この体が動くその自分の感覚とそれを動かしている私の意識みたいなところ。その意識のところにちょっとやっぱり入りたいんですよね。出演者の意識を少しいじりたくなるから、なんかひょっとしたらそういうことが起こるのかも。もう身体的にもフィジカル的に疲れは取れたんだけど、なんか残るっていう。「クオリアの庭」とかも多分そうだったと思うんですけど。そういうことなのかもしれない。わかんないけど。

 

小暮:そうかも、なんかね。

 

三浦:でも、色々纏って、纏ったものを脱いで、別のものを纏って、色んな感覚を人生において体感していけるのは、表現者には大事なことだと思う。脱ぐのに時間がかかる日もあって、大体すっと着れるようなものは僕は作らないんで。十二単?みたいな。(一同笑)まだ着るの?みたいな(笑)。わかんないけど。なんかそういうことを時間をかけてやりたいなっていう感じかな。あ、だめだ。僕のインタビューになっちゃってる。ここで抜けるので、最後の締めは香帆さんに。


小暮:私、ちゃんと喋れてるのかなぁ(笑)。

【では最後に、ここからのM-laboに対して思うこと、感じていることはありますか?】

小暮:いろいろあるんだろうなと思いながら。1999年にM-laboが始まった時、10歳だった。関わっていないけど、同じ時間を生きているというか。なんて言ったらいいんですかね。なんだろうな、不思議なんですよね。「新しく入ります。よろしくお願いします。」というより、合流する感じなんですよね。後半に参加しますというより、その時が来たから合流するんだなっていう感覚かな。なので、すごい楽しみですねどうなっていくか。うん。基本的にすごい人間が、人が好きなので、やっぱM-laboのメンバーの人がどんな人達なのかとか、会って話したりすることも楽しみだし、そこから周りに広がっていくことだったり、きっと新しい出会いがあったり、たくさんあると思うので。三浦さんはじめ、一緒に出る方がすごく素晴らしいダンサーであり、人としても素晴らしいと思うから、スポンジのようにいろいろなことを吸っていくと思います。三浦さんがおいでと言ってくれる限り、体を差し出していきたいというか、関わっていきたいなというのはありますね。楽しみです。楽しみだ(笑)。

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