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2016/11/23 M-laboratory活動再開に寄せて〜今津雅晴インタビュー

2010年の活動停止後、2016年度活動を再開するM-laboratory。7年の時を経ての再開。今回は参加メンバー今津雅晴と三浦宏之による対談。お二人に「M-laboratory」について聞いてみました。

【今津さんのM-laboratoryへの参加はJoule(2000年4月)からになると思うのですが。】

 

今津:Jouleからですね。え?Jouleか?

 

三浦:Jouleだよ。

 

今津:なんだっけ、プロペラがあったやつ?

 

三浦:そうそう。

 

今津:あれJoule?

 

三浦:Joule。その前が熱源譚(1999年10月)で二作目がJoule。

 

今津:その時さいさい(斉藤栄治)も一緒でしょ?

 

三浦:さいさいと今津は同時加入。

2000年 「Joule〜時施導軌〜」 photo:Takashi Ito

【加入するに至った経緯はなんだったんですか?】

 

今津:そうなったきっかけには、恵里花さん(故・野和田恵里花氏)の作品があって、その作品に丸ちゃん(丸山武彦)と三浦氏が出ていて、さいさいがそれを観に来ていて。

 

三浦:リハを見に来てたね。なんか知んないけどね(笑)。

 

今津:そうそうそう。

 

【その時が今津さんと斉藤さんの初めての出会い?】

 

三浦:さいさいと今津はその時が初めて。

 

【初対面の斉藤さんの印象は?】

 

今津:いけ好かない奴だなと(笑)

 

三浦:向こうもどうせそう思ってる(笑)

 

今津:なんじゃこいつみたいな(笑)

 

三浦:僕と丸と今っちゃんと、実は秀ちゃん(鈴木秀城)も恵里花さんの作品に出てたんです。その後、秀ちゃんはしばらくM-labo参加まで間が空くんだけど。

 

【瑞丈さん(笠井瑞丈)加入はその後に?】

 

三浦:もっと後。

 

今津:みつ(笠井瑞丈)は恵里花さんの時とかは出てなかった。その頃はよく朝まで下北で飲んでて。

恵里花さんと丸ちゃんと、三浦氏と。次の日の朝まで飲んでリハに来るから、汗が酒臭い(笑)。超迷惑。

皆にも言われてたよね(笑)

 

三浦:楽屋も酒くさいっていう(笑)

 

今津:恵里花さんにいたっては舞台をモニター見ながら「あれ?私もう出てる」って言ってたからね(笑)。

 

三浦:恵里花さんが先陣切って朝まで飲んでたからね。

 

今津:まあ確かにそれはそうだ。

 

三浦:恵里花さん主宰のカンパニーっていうかユニットがあったんだけど、今っちゃんと僕と丸と秀ちゃんが参加してたんです。その時にちょうど丸とM-laboを立ち上げ初めて、そこらへんで時期が重なっていたのと、恵里花さんとの繋がりで。今っちゃんとは恵里花さんの作品で一緒に踊ったりして、なんか変な奴って思って。でもその頃すでに、僕の中では今津と斉藤っていうのはあったんです。なんとなくこの二人が一緒にやれたら面白いなというのはあって。

 

今津:でも正直にさいさいのことを言うと、三浦氏のワークの中で道具を使う、例えば椅子だとか机だとか使うやつがあったんですよ。さいさいはそれがめちゃめちゃ上手かった。

 

三浦:道具使いがね。

 

今津:道具使いを見て「こいつ何考えてるんだ」とか思ったところは正直あった。

 

三浦:とんでもないですよ。

 

今津:とんでもなく上手かったです。例えば、自分を視点としてこの道具を扱おうと思っちゃうじゃないですか?でも、さいさいってその視点がずれるんだよね。道具が自分の中にどういうように存在するかっていうこと自体が。そこら辺の視点がずれて、道具に扱われてるとか、道具の中に入ってしまうとか、そこら辺の視点は今まで見たことのないダンサーでしたね。

 

【ではそれが「いけ好かない奴」と思った斉藤さんへの第一印象。】

 

今津:いけ好かないっていうか(笑)。そういうのがあると「いけ好かないな」って思うじゃないですか?なんだか、俺にはできないことやってるっていう。

 

【M-laboに初参加した時はどんな感じでしたか?】

 

今津:あの頃、実を言うと色んなカンパニーの公演に俺は出ていて、同時期でいえば木佐貫邦子さんの作品。その時は男一人だったんです。それから、男同士でやってるカンパニーっていうのはコンドルズがあって、コンドルズにもその同時期にいたんです。その時はM-laboも、結構お笑いみたいなこともやってたけど、コンドルズってなんか...なんだろうな、狙っていく感があった。だけどもM-laboって真剣にやってる姿が滑稽で面白い、っていう。狙ってる感は最初からはない。

 

三浦:そうですね。

 

今津:そういう意味では、俺はもともとマイム出身で、SOUKIっていうグループがあって、そのSOUKIが今後マイム寄りにしていくみたいな話があったんですよ。それでマイム寄りになるなら、別に俺の居場所はないなと思って。マイム下手だったから(笑)。だからそれで、じゃあごめんなさいねっていう話になって。

 

【始まりはマイムだったんですね。】

 

今津:大本でいえば踊りですけどね。現代舞踊協会の踊りが最初。その先生が「お前、絶対マイムやった方がいい」って言って。それでマイムやりだして。マイムをやりだしたらやりだしたで下手で(笑)。

 

【マイムやコンドルズもやりながなら、M-laboにも参加していたんですね。】

 

三浦:要するに今っちゃんは当時色んな振付家と作業をやってたんで。その中の一つとしてM-laboがあったっていう感じ。まあ今でも、今っちゃんも自分の活動があって、その一環としてM-laboがあるっていうような状態。ずーっとそれは多分変わらないと思う。みんな他の活動、他の振付家と作業して、さいさいも「伊藤キム+輝く未来」にいながらM-laboやったり、「まことクラヴ」をやりながらM-laboやったりしてた。特に今っちゃんは活動が盛んだったよね。

 

今津:その時は男性群少なかったんだよね。

 

三浦:男性のダンサーとか振付家って少なかったよね。今ほどはいなかった。

 

2005年 「〜はなぞの〜」 photo:Sakae Oguma

【以前、上村なおかさんにインタビューにした際、初期のM-laboは男臭くてムンムンしていたと。】

 

今津:本当に男臭かったよね。皆ね、お風呂もあまりなくて臭かったよね。

 

三浦:実際ね、匂いが漂ってることは確かですね。

 

今津:ムンムンしてたよね。

 

三浦:当時は若かったし。

 

今津:若かったし、すっごい汗かいてそのままリハーサルやったり。

当時は汗拭きシートみたいなのもなかったもんね(笑)

 

三浦:みんな男一人暮らしだったりしてTシャツが生乾きの臭いがしたりするのよ。

 

今津:そう!(笑)超臭かったから。

 

三浦:そういう意味で具体的に実際臭いっていう。

 

今津:臭かったから。男臭かった、っていうか臭かった(笑)

 

三浦:でもムンムンするって言って今思い出したんだけど、なんかの作品で今っちゃんに、皆も言ってたか...結構意味のない言葉を振りにつけてたんだけど。ムンムンじゃなくてヌンヌンっていう擬態語を振りにつけてたね。覚えてる?

 

今津:覚えてる。

 

三浦:ヌンヌンヌンヌンヌン(手振りを付けながら)みたいなさ。なんかそんなことをやってたね。

 

今津:でも俺、その頃に笠井先生に「なんで言葉をつけるの」って言われた。それを言われた時、三浦氏はいなかったんだよね。言葉を発する体っていうことが、言葉の身体性も変わるし、プラス動いている時に発している言葉の意味合いっていうか息みたいなものが違うからって言ったら、なるほどって言われて、面白いねって言われて(笑)。

三浦:実際、当時僕が振りの中に言葉を置いていったのは、まだ振付家として未完成なところがあって、その自分の未完成な振りをどこまで上げれるかっていうところで、振付でそれを完了できないから、言葉をそこに乗せるしかない。逆に言うと、自分が作った振りに対して、自分が作ったものに対して、こう、まだ納得できてないんですよ。それを納得できる領域に持って行くためには発声が必要だったですね。なんか言ってることは意味のないことなんだけど。「ぜぜよ」とか。「絶対にぜぜよ」みたいな、まったく意味のない言葉。今っちゃんは結構面白くて、言葉っていうものを遊びに使ってくれたよね。「〜はなぞの〜」(2015年12月)あたりが結構言語と振付との完成形だと思う。

 

今津:わかるそれは。なんか反応。俺も結構、反応反応って言ってるけど。さっきも自転車乗ってて持ってたコーヒーが溢れて「熱っ!」って言うじゃない。この「熱っ!」って別に報告しなくてもいいじゃん。誰が聞いてるわけでもなく。でも、そう言っちゃうって反射じゃないですか。でもそこらへんを俯瞰してみると、それって反応なんだけどそれをしない時もあるじゃないですか。「熱っ!」って言わない時もあるから。俺は言葉ってあんまり得意な方ではないんだけど、全部が全部伝わってると思わないんですよ。でも言葉を疑いだすから哲学があったり、色々な証明の仕方があったり、と思うんです。だからそうね、言葉をあまり信用してないっていうこと。

 

三浦:まあ、「熱っ!」ってなったり、タンスの角に小指をぶつけるじゃないですか。その時に一人で「痛えな。ちくしょうっ」って言っちゃうわけですよ。でもそれを言うことで、ある意味解放されるんですよね。それを「(無言で我慢...)」って堪えてると、力みだけで終わるんだけど「いてて...なんだよこれもう」って言うことで、少し解放されていくっていう。身体と言語ってそういう関係にあるような気がするんですね。あ、だめだ。すごい変なところに話がいってる。

 

今津:そういうようなことがあって言葉を使っていました(笑)。

 

【今津さんは活動停止前の「停止。」(2010年3月)には出演されてなかったですよね?】

 

今津:出てないんですよね、そういえば。っていうか、実は本当に出たかったんだけど、公演が向こう(カナダ)であって、ちょうど同じ時期だったんですよね。その作品自体が半年以上リハーサルやっていたやつで、ずっと前から本番も決まってたから動かしようがなかったところがあったんですよね。

 

三浦:今っちゃんはずっとカナダにいたので、停止を決めた時に「今っちゃんは無理だろうな」と思っていた。でも、無理だろうなと思っていたけどやっぱり打診はして、何らかの形で一旦停止するための句読点を打つみたいなことで参加はしてほしいなと思って。結果、パンフレットに文章をいただいただけなんですけど。それはそれでよかったんだろうなと思って。当時停止したのも他の参加してる人たちが個人の活動が多く入ってきて、そっちにやっぱり重点が置かれ始めてたところもあって、あとは子供が生まれたりとか、色んな環境が停止に向かわしたんですけど。僕は停止するって決めた時に再開はもう決めてたんで。いつになるかはさっぱりわからなかったけど。解散だったら解散って言ってたから。停止っていうことにしたのは、いい具合に歳をとってから、まあ要するに今、またやれる余裕ができたらやろう。なんとなくその余裕ではないんですけど、隙間みたいなものが皆持てるようになったんじゃないかなと思って、再開に至ったんですけど。

 

今津:それこそ俺は「停止。」でいえば、自分が存在するグループっていうところがM-laboの中にはあったと思うんですよ。だけども急に停止って言われて、それこそ二二六に行けなかった男じゃないけど、なんかすごいそれの疎外感みたいなものがあって。なんかそれこそ色んなことがあるじゃないですか、四十七士にしても行けなかった人や、東大の紛争にしても何かが起こっているのに参加ができなかったっていうところのストレスは正直言ってありました。「停止しちゃうんだお前ら」みたいな(笑)。

 

三浦:「俺がいないのに」みたいな(笑)。

 

今津:それはあったかな(笑)。

 

【7年間の停止期間後、再開のメールが届いた時はどうでしたか?】

 

今津:うんだから、俺の中では停止してねえもんっていう(笑)

 

(一同笑)

 

三浦:そっかそっか。停止してないやつが一人いた(笑)。

 

今津:皆停止していいね(笑)。

 

三浦:面白いですね、それは。

 

今津:しゃあないなって思いながら。停止のメールが来た時も、停止するんだねっていう感じ。

停止するんだねっていうことと、それだったら思い切り遊べばいいんじゃないってっていうようなことをパンフレットに書いたんですけど。だから俺も再開って言われるまで遊んでやろうって思ったところはありました。

 

【再開にあたってはどんな気持ちですか?】

 

今津:停止してないから変わらないですよ。ずっと続いている感じはすごいする。ずっと続いてる感じはするんだけど、三浦氏の言ったように状況は変わってるっていうのはすごくあったり。例えば子供が生まれる年齢になったり、例えば自分が作品を作るようになったり。色んなことを得てきてるっていうことはすごくあると思います。本質的には、本質っていうか自分自身はあんまり変わってないだろうなと思います。

 

【自分の中でのM-laboの位置付けは変わらない?】

 

今津:変わってないかな。

 

三浦:それは変わんない。みつも多分話したと思うけど、多分そこは変わりようがないところじゃないの。

 

今津:体力的なところはあるかもしれないけど(笑)。

 

三浦:体力...ね。体力を補うに余りある技術が備わってますから。年齢を重ねて(笑)

 

【「終わる前」から次の「Moratorium end」に向かいますがどうですか?ワクワクしたりしますか?】

 

今津:ワクワクしますね(笑)。なんかやっぱり、そこらへんはコンドルズと一緒かもしれないんだけど、また遊べるって感じ。でもまあ、コンドルズはちょっと違うか。なんかまた遊べるし、このメンバーで遊べるってなると、遊びの方向性って違ってくるじゃないですか。小学校とかでもかくれんぼ一緒にやってたメンバーと、縄跳び一緒にやってたメンバーと、ドッヂボールやってたメンバーって全然違うから。そういう意味では、M-laboって遊びができるのはこのメンバーでしかできないだろうなって思う。

 

三浦:僕にとって、今っちゃんの捉え方と遊びっていう感じが違うんだけど...遊んでないですから、自分の活動はね。遊ぶって何かって言うと...

 

今津:うん。遊ぶっていう、そうだね。

 

三浦:生きてることと遊びっていうのは同等なのかもしれないですね。でも活動ってなると、ただの遊びじゃないですね。自分が生きていく中で遊んできて、得たものや、身につけてきたものを形にしていくっていうことが活動なので、イコール遊びではない。もっと遊びを結晶化したような感じ。そんな感じ。でもまあ基本的にはM-laboのメンバーと言われてる人達と活動していくことが私には必要なんだっていうだけ。それが楽しいです。

 

今津:俺も遊びって言ったけど、死ぬところを探している気がします。なんかそれが、生きることって言えば生きることなのかもしれないし、死ぬことって言えば死ぬことなのかもしれない。なんかそういう意味では死ぬことって色んなことをしなければ死ねなかったりするじゃないですか。「このままじゃ死ねない」って皆言うじゃないですか。だけども、俺の中では遊ばなきゃ死ねないところもすごくあるし、まあ通過儀礼として人によっては正座して短剣を持って、そして腹をかっさばくっていうような人もいれば色んな死に方がいっぱいあるから、俺は遊ばないと死ねないかなって思って。

 

三浦:そこで共感のところにいきますね。わかんない、基本一緒なんですけど。

 

【今津さんにとって、M-laboratoryとは。】

 

今津:まあ、仲間ですよね。仲間でしかないかな。仲間であって同士で

あってみたいな、同じクラスであってみたいな(笑)。まあでもそれは

最初から変わらないかな。

仲間っていうのは同期の桜的なところはすごくある。同じ時に咲いて、

それを言うとなんか軍隊的になってしまうかもしれないけど、咲くって

いうような色々なところがあるって思うし、それは遊ぶだとか、死ぬだとか

生きるだとかそういうのはあるのかもしれないけど、仲間。

だから、こいつらの為にだったら死ぬ気で遊べるみたいなところはある。

 

【再開後ここから始まるという感じでしょうか?】

 

今津:戻ってきたっていう感じがします。

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