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2016/12/22 M-laboratory活動再開に寄せて〜兼盛雅幸インタビュー

2010年の活動停止後、2016年度活動を再開するM-laboratory。7年の時を経ての再開。

今回は参加メンバー兼盛雅幸と三浦宏之による対談。お二人に「M-laboratory」について聞いてみました。

【M-laboratoryに参加するきっかけには、どういった経緯があったのですか?】

 

兼盛:入るきっかけ。ちゃんと思いだしたよ(笑)僕、研究生をやってて、パパ・タラフマラっていうところの。研究生を3年間やったんですけど、

1年で辞める人もいれば2年続ける人もいて。斉藤くん(斉藤栄治)も一緒だったんですけど、斉藤くんは僕より先に3年やってやめたんです。

僕は斉藤くんより1年あとに入ったので、斉藤くんは先に辞めてM-laboに入ったんですね。僕がその3年目の時に、三浦さんに誘われたんですよ。

その時は三浦さんもパパ・タラフマラのメンバーで活動してて、でもね本当にね、あんまり面識なかったんだよね、正直。

 

三浦:そうだっけ?

 

兼盛:そうだよ。あのね研究生って、教えをしてくれてるメンバーとは繋がりがあるけど、三浦さんはその当時教えてなかったから、そんなにね接することがなかった。

 

三浦:そうだっけね。

 

兼盛:で、八王子の青年の家で、「カネちょっと今度M-laboでないか?」って感じになって。

 

三浦:そうだっけ?

 

兼盛:だったと思うの。それはでも、なんで誘ったのかは知らない(笑)。でも、三浦さんはなんか男をたくさん使いたかったんだと思うのね。よくわからないけど。だからタラフマラの...でも、俺まだタラフマラ入ってないもんね、研究生だから。

三浦:そっか、その後一回タラフマラのメンバーになったんだっけ。

兼盛:うん。その後1年旅をして。

 

三浦;旅してたね。それでなんだっけ中国で女に振られて帰ってきたんだっけ(笑)。

兼盛:あの...えっとね、トルコ(笑)。トルコで女に振られて。バックパッカーやってて、一年間ブランクがあってそれからタラフマラに入ったんだけど。だから僕的な感じでは、三浦さんはちょっと若いやつ、若いっていうか男をタラフマラにもっと入れたいっていう気持ちがあったんだと思うのね。女の人が多かったから。だから研究生の男をもう少し育てようという気持ちがあったんじゃないかなという風に、その当時僕は思ってた。それで誘ったんじゃないかなと。

 

三浦:あのね。タラフマラに男を入れたいっていうのはあったね、確かに。女ばっかりでつまんなかったんで。

 

兼盛:さいさい(斉藤栄治)も入らなかったしね。

 

三浦:そう、さいさいはねキムさん(伊藤キム)のところに行っちゃったしね。でまあ、M-laboもやってくれてる感じだったんだけど、まあキムさんのところのほうがあってるだろうなと思ったし、さいさいは。多分、かねやんは研究所を出てもキムさんのところには入らないだろうなと。

 

兼盛:わからなかったけどね。どうするかっていうのは全然考えてなかった。

 

三浦:なんか、タラフマラやった方がいいなとは思ったけど。でもあれなんだよね、かねやんは「Latest Heat」からだよね。

 

兼盛:そうね。

 

三浦:で、秀ちゃん(鈴木秀城)と一緒なんだよ。秀ちゃんと同時期に入ってる。東大駒場寮のチラシ撮影とかさ。でもその時M-laboも女性出てたじゃん。女の人が3人いたから、ちょっと男の人が多い方が良かったんだよね。で、丸(丸山武彦)・さいさい・今っちゃん(今津雅晴)・秀ちゃん・かねやんで男性5人。

 

兼盛:「Latest Heat」って二本立ての時?「暴走する男達」と。

 

三浦:そうそうそう。

 

兼盛:二本立てって一週間ぐらいの間で二本やったんだよね。

 

三浦:そうそうそう、一週間...一週間じゃないよ!

 

兼盛:一週間じゃなかった?

 

三浦:「暴走する男達」の二日後とかにもう「Latest Heat」だった。

 

兼盛:無茶公演だったんだよね(笑)。

 

三浦:無茶だよね。

 

兼盛:確か僕、最初は「暴走する男達」だけに出演する話だった。男だけの公演に呼ばれたっていう話だったのよ。

 

三浦:そうそう。男が何人か欲しい。束で欲しいっていうのがあって、かねやんには「Latest Heat」の方は無しって。

 

兼盛:まだ全然未知数だし、わからないし。そういう話だった。でもやっぱし稽古をさ、同じような時期にやるから、一緒に稽古やるわけですよ。そうするとなあなあな感じで、なんか結局...。

 

三浦:出よっか(笑)みたいな感じになった。

兼盛:それは僕、研究所の3年目の冬だったと思う。M-laboってなんかいつも冬にやってるイメージがあるんだけど。

 

三浦:12月だったから。

 

兼盛:それが一番最初のM-labo。

 

三浦:かねやんはタラフマラ関係で出会った。さいさいとかねやんは僕はそう。秀ちゃんとか丸とか今津は恵里花さん(故・野和田恵里花氏)絡み。

 

兼盛:僕はそこで秀ちゃんに出会う前に、秀ちゃんに出会ってるんです。

 

三浦:本当!?

 

兼盛:三浦さんの「暴走する男達」のワークショップがあったのね、新宿で。秀ちゃんが来ていて、トイレで一緒におしっこしてたら秀ちゃんが「前に一回会いましたよ」みたいな感じで。前に下北沢のパブリックホールだっけ、そこであった音楽のイベントに参加してたんですよ。僕はその頃、太鼓を習っていて吉祥寺のある先生についてたんですね。そこでのイベントで秀ちゃんはその時はスタッフをやっていて、僕がギターの抽選会でギターが当たって「やったー」って言ったのを、秀ちゃんはすごく覚えていますって。そのワークショップの多分3年ぐらい前に、秀ちゃんはもう僕を覚えていた。

 

三浦:北沢タウンホール。そこが秀ちゃんとのファースト。

 

兼盛:ファーストな出会いだったっていう。だから誰よりも秀ちゃんに一番最初に出会ってるっていう。M-laboのさいさいよりも。

(斉藤さんよりも三浦さんよりも?)

 

三浦:俺よりも先だね。

 

兼盛:その時に何か一言か二言会話を交わしたのか、僕は全く覚えてないけど。秀ちゃんの記憶力はすごい。

 

三浦:俺もM-laboで一番最初にであったのは、丸でもなく秀ちゃん。

 

兼盛:あ、そうなの?

 

三浦:一番最初に秀ちゃんに出会ってる。不思議な人だよね。

 

兼盛:すごい不思議だった。なんかすごい。

 

三浦:舞台活動歴が秀ちゃん一番長いから。

 

兼盛:でもその稽古の時は大変だったよ僕は(笑)。

 

三浦:俺ね、なんでかねやんっていうのね、ファーストインパクトはあれだったんだよ。合宿の時に。

兼盛:合宿見に来てくれたんですね。

 

三浦:その時に、さいさいと関美乃里とかねやんでなんか外で発表みたいにして、その時に全裸でギター弾いていて「こいつ面白いな」って。股間だけギターで隠れてるの。なんだこいつっていうのがかねやんで面白い奴だなって思った。なんか見た目はオタクっぽいさ、偏屈な男っていう感じで、最初は敬遠してたんだけど。

 

兼盛:あんまり、そうだよね。だから絶対、学生時代同じサークルとかグループに入ってない感じだもんね。

 

三浦:でも、その全裸ギターでなんか楽しそうに歌ってたよね、裸で。それを見てこういう奴かと思って。面白いって思ったのはあって、あれがなかったら多分...。

 

兼盛:マジで!?あれか!あれだったのか...(笑)。

 

三浦:あれがなかったら、かねやんはこういう人なんだなっていう一面で終わってた。

兼盛:そうかぁ。

 

三浦:でもわかんないけどね。

 

兼盛:その作品は覚えてます。歌った歌も覚えてる。

 

(歌は何を歌ったんですか?)

 

兼盛:歌はオリジナルなんです。一緒に出てたのは、関美乃里じゃ無く、やひろけいこで。

 

三浦:やひろけいこか!

 

兼盛:彼女が作った作品のタイトルが「私の前ではその全てをさらけ出してもいいのよ」ぐらいのタイトルで、それをそのまま歌ったって覚えてます。

 

三浦:俺はね面白い奴だなって。兼盛っていう奴がいるんだっていう。そこから出会って長い付き合いになったっていうね。

兼盛:そこからですね。1999とか2000年ぐらい?

三浦:2000年。「Latest Heat」以降はほぼ全部出てる?「部屋のある穴」は出てないね。

 

兼盛:あとあれも出てないんですよだから。Westend studioでやったやつ。

 

三浦:「トウキョウヒート02」あれは出てないね。

 

兼盛:あれはちょうど旅に出ていて。見てはいるんだけど。帰ってきていたけど、東京にいなかった。あんまり、なんかちゃんとそのまま東京に住むかどうかまだ決まってない時期だったから。一回、一年間東京を離れたんだよね。その時期。

 

三浦:実家の方だったっけ?

 

兼盛:半年バックパッカーをやって、そのあと大阪に戻って、大阪で引きこもったんですけど(笑)。そのあとタラフマラに参加することになったんだけど、その作品にだけ参加するっていう話だったから。そのまま東京に住み続けるかどうかは自分の中では決めてなくてっていう。

三浦:なんか覚えてる。その頃ちょっと俺も悩んだ。かねやんがどうするのかっていうのは悩んでた。

 

兼盛:そうですね。ちょっとね距離があった。僕と三浦さん達とか、僕もちょっと精神的に不安定というか、旅を続けててどうしようかなっていう世界。これからどうしようかなっていう。打ち上げでなんか少しストレンジャーな気持ちだったのを覚えてる。ていうか、皆サッカー見てて、誰も喋らないっていう打ち上げだった。

 

三浦:そうだったね。「トウキョウヒート02」の時、ワールドカップで。あれはなんか変な打ち上げだったね。

 

兼盛:なんか皆でサッカー見てるっていう打ち上げだった。そのあとは何でした?

 

三浦:そのあとは「ジョニーは戦場に行った(仮)」だよ。そこからは結構ガチでかねやんは参加してるよね。

 

兼盛:あの時はもうタラフマラいたんだっけ。タラフマラやりながら...

 

三浦:タラフマラやりながらだったんかな。俺は多分その時期にはタラフマラ辞めてる。

 

兼盛:だから僕は三浦さんと一緒にタラフマラの舞台に立ったことはない。ちょうど入れ違いみたいな感じに。

(兼盛さんはM-laboとタラフマラの活動の両方を続けていたんですか?)

 

兼盛:僕も結局はタラフマラを結局2年ぐらいしかやってないんで。ジョニーとかは、研究生とか観に来てくれた。

 

三浦:戦争三部作が始まったのが2003年か。

 

兼盛:じゃあタラフマラまだいます。もうねえ、覚えてないあんまし。

 

三浦:時系列はね、わかんないね。

 

兼盛:やっぱし三浦さんとなんか、がっつりっていうか、一緒にデュオで岡山に行ったの。

 

三浦:ああ、ときとちか。僕が初めて岡山で踊った時、かねやんと一緒にやってる。

 

兼盛:2004年じゃないか?

 

三浦:2004年ぐらいじゃない。

 

兼盛:2004年に当時タラフマラが毎週イベントをするっていう企画があって、僕がもうタラフマラを辞めるっていうので責任者を任されたの。それで僕、責任者をやってたんだけど、その時の最初ぐらいに出演者もそんな簡単に見つからないから、三浦さんに声をかけたんだけど、三浦さんは「そう簡単にはやらねえぜ」みたいな感じで(笑)。

 

三浦:そうだった?(笑)。

 

兼盛:「だったらお前出ろ」みたいな感じだったんだけど。「やってもいいけど、だったらお前出ろ」みたいな感じで、やったの。その時に小石原さんとか観に来てくれて、

 

三浦:そうだそうだ。ライフライダー。

 

兼盛:そうそう。その企画が岡山に行くことになって。そこで一週間?もっといたっけ?

 

三浦:一週間ぐらいじゃない。

 

兼盛:一週間ぐらいか...二人でずっとさ、寝食をともにしてさ。

 

三浦:病気になりそうだったよね、かねやんね。(笑)。

 

兼盛:最後もう「フャアー!!!」ってなったもんね(笑)。

(一同笑)

兼盛:そこらへんから、がっつりな感じがするかな。その当時セッションハウスでやってたアートマネージメント講座に出てたんですよ。マネージメントの方に興味があってそれを勉強してたんで「M-laboのこともやってもらっていいですか?」みたいな感じで勉強も兼ねてみたいなことで。そこら辺ぐらいからかな、制作をやるようになったのは。

 

三浦:そうだね。忘却都市の時は多分もうやってくれてると思う。

 

兼盛:忘却は多分やってますね。

 

三浦:だからその前かも、ひょっとしたら。

(サタデーナイトホストクラブは?)

 

三浦:サタデーナイト...、あ!はなぞのだ、はなぞの。

 

兼盛:そうだっけ。

 

三浦:そう。「〜はなぞの〜」でいつものようにチケットが売れないなっていう話になったんだけど、当日小屋入りしたら本番の日の朝、かねやんが俺のところにツカツカっとやってきて「三浦さん、大変です。チケット完売してます。」みたいな感じで。俺も驚いたもん。嘘ばっかりと思って。そしたら直子さん(伊藤直子)から聞いて、プレイガイドとセッションハウスの予約で足したらもうほぼ完売ですって。

兼盛:おおーすげえ。覚えてない(笑)。

 

三浦:突然、「〜はなぞの〜」でブレイクしたのM-laboって。ジョニーではM-laboっていう団体は知られては来てたんだけど、まだちょっとこう男だけの...みたいなさ感じがあって。ジョニーまでは集客は大変だった。全然フルハウスとかにならなくて、「〜はなぞの〜」も手売り分でメンバーも売らないなみたいな感じで。「だってしょうがない。友達いないんだもん。」みたいな感じでさ(笑)。しょうがない、今回も赤字だなって思っていたら、かねやんが本番当日の朝直子さんとチケットのこと話したら、「三浦さん!」って。

 

兼盛:なんかすごい満員の回があったことは覚えてる。

 

三浦:ラストの回。ラストの回は立ち見っていうかエクストラシート出してたから。

 

兼盛:映像に残ってるのはラストの回だよね。

 

三浦:そうそうそう。僕がフランスの演出家と仕事してて、その人も観に来てくれたり、なんか突然ワッとなったね。

 

兼盛:タイトルが良かったのかな。華があるタイトルでね。

 

三浦:そうだね(笑)。

 

兼盛:華のあるタイトルにしましょう(笑)。

 

三浦:そこから、制作をかなりやってくれるようになって。そうやって今思うと、僕が適当にやりながらやっていた制作を、かねやんが自力でやり始めるようになってくれて、実際、箱も大きいところで出来るようになったり、助成金がおりたりっていう感じにはなっていった。

 

兼盛:ドトールでよく打ち合わせしてましたよね。

 

三浦:そうそう。ドトールね。「いつもの席で」って言ってね。かなり仕事としては申請の書類とかをかねやんが一手にやってくれて、僕は企画だけ文章を書いて後の難しい部分はかねやん。

 

兼盛:よく言うよ。三浦さんが基本大体書いてくれてるんだよ。俺が最後細かいところをまとめてっていうぐらいで、大まかなところは三浦さんが書いてくれるんだよ。

 

三浦:そんなことないよ。収支なんてあんま考えたことないよ。

2003年 「ジョニーは戦場へ行った(仮)」 photo:Takashi Ito

2005年 「〜はなぞの〜」 photo:Sakae Oguma

兼盛:そこらはそうだけど、この作品がなぜ必要かっていうところは大風呂敷広げてさ、書かなきゃいけないじゃないああいうところって。それを僕は書けないからさ、さいさいも書けないから(笑)。そこはちゃんと三浦さんは書くからさ、やっぱもらえる時はもらえる。三浦さんは社会と自分との関係とかそこらへんをずっと考えるじゃないですか。社会とか歴史の中での位置とか。それがどうなのかはわからないけど、でもだからそこで助成金申請をするときに文書を書こうと思ったら書けるんですよね。なぜそこで、作品をここで今やるのかっていう。難しいですよね、でもね。

 

三浦:まあなんかね、口八丁手八丁でね。

 

兼盛:いやいやいや、本気だと思うよ。恥ずかしがり屋だからそこは言わないだろうけど。本気だと思う。そうかって。

 

三浦:そうね、その中で不思議なもんで、そこらへんをやってくれる人が一人立つことで、企画そのものはやりやすくなったし、小さいアンダーグラウンドのシーンだけでなく、JADEとかもやったし、パブリックまではいかなかったけど、アサヒアートスクエアとかまで行ったていうのは。僕一人でなんか全部やってたら絶対そんなことにはならず。しんどいところですから、制作ってやっぱり。しんどいところを一気に引き受けて、その人がいることでダンサー達もある程度楽になる。気持ち的に。チケットが売れてる売れてないっていうことは変わらないとはしても、かねやんがいることでメンタルが楽になる、皆。制作ってなんかそういう存在だなって思って。

 

兼盛:そうなんです、いやいやうそうそ(笑)。わかんないけど。どこまで僕が役に立ててたかはわかんないけれど、あんまり自分で考えたことないけど。まあ、誰かいないとね。小屋入ってからとか、外部に頼むことも可能性としてあったのかもしれないけれど、そんなに余裕のあるカンパニーじゃないから(笑)。それはできることはっていうのはあったんですけどね。

 

【出演者として、また制作者として関わる中で感じることがありましたか。】

兼盛:そうですね。だから「部屋のある穴」っていうのだけは、僕は制作に徹したんです。やっぱその時は悩みがあって、自分は踊り手なのか、出演者なのか制作なのか。どっちなんだっていうので、自分の中で見極めたいっていうところがあって、「今回出ません。」って言って、制作に徹しますっていう形で。その後、自分がどういう風に心を決めたのか覚えてないんだよね...(笑)

 

三浦:まあ、どっちもありでっていう感じで良かったのかな。

 

兼盛:どうだったのかな(笑)。だからやっぱりね、もし出演しないで制作だけでもこのカンパニーでやっていきたいかっていう問いかけを自分で多分してたんだと思う。答えがなんだったか本当に覚えてないんだけどね...(笑)。そういう問いかけをしてたんだと思う。

 

三浦:答え出た頃には多分「来年で活動停止するから。」ってなっちゃってたのかも。

 

兼盛:もうなってたのかな。それはそうかも、だから答えは必要なかったのかも。やっぱりね、面白いんですよ。三浦さんのワークショップも面白いし、やること面白いし。ちょっと、さいさいと比較しちゃってるんだけど、世界装置とは巻き込まれ加減が違うなと思う。面白いから、ついつい、はまりすぎちゃうんじゃないかっていう怖さがある。さいさいのところってもうちょっとなんか、保ってられるっていう感じがある気がするんだよね。それはどっちがどっちっていうんではないけれど、それはあるな。自分の中で。違う存在の仕方だなと。二人ともいくつも作品を一緒にやらせていただいて、自分の人生の踊りの歴史の中ですごい大切な存在としてある。

【これまでに印象に残っている作品は?】

 

兼盛:覚えてるのはね、金髪にしたことがあって。金髪で新聞を撒くっていうのがあったのね。セッションハウスで。

 

三浦:それがジョニーです。

 

兼盛:あれジョニーか。

 

三浦:うん。「ジョニーは戦場へ行った(仮)」。

 

兼盛:その新聞の撒き方が上手くなくて、すごい何回も何回も一人で新聞を撒いてたっていう。

 

三浦:あれはいいシーンですよね。すごく好きなシーン。

 

兼盛:映像にはすごい美少年に映って。

 

三浦:そうそう。格好よかったよ。かねやん金髪良かったよね。

 

兼盛:俺ね、なんかね、星の王子さまみたいだった。だよね?(笑)。

 

三浦:違う違う。

 

兼盛:絶対そうだよ。俺「星の王子さまじゃん!」って思ったもん。

 

三浦:そっちじゃないよ。まあいいけど(笑)。

 

兼盛:そう、よくね三浦さんから髪型の指示とかがあって。ソバージュとかにしたこともあって、それも三浦さんの指示だったんだよね。結構それもね、はまった感じがあった。

(それはどの作品の時に?)

兼盛:何の作品だったか覚えてない。

 

三浦:停止。だよ停止。

 

兼盛:あれ停止。だったけ?

 

三浦:停止。だよ。

 

兼盛:停止。ソバージュだったんだ。

 

三浦:で、その時にかねやんはね、あれにしてくれって言ったんだよ「龍馬伝」やってた...

 

(福山雅治?)

 

三浦:福山!かねやん、髪型福山にしてって言ったら意外に良かった。意外に良かったよねあれ。

 

兼盛:意外に良かった。良かったと思う。

 

三浦:格好良かったんですよ。もう思いつきで「かねやん福山雅治にして」って言ってるだけなんだけど。

2010年 「停止。」 photo:Sakae Oguma

兼盛:なんか、もう派手なのは無理だからね。ハゲにしろとか、今は無理だから。家庭での問題とか色々と(笑)。あとはなんだろう、覚えてるのはトラブルなんだけどさ。何だっけ、賞をもらったやつ。

 

三浦:あれは「ジョニーは戦場に行ったのか?」だよ。

 

兼盛:ジョニーのショートバージョン。

 

三浦:東京コンペ。

 

兼盛:東京コンペの最初で、僕が後ろ向きに三角座りみたいな感じで背中を見せて座ってるいうシーンから始まる。しばらく僕がポツンとなっているところに曲が入ってくるっていうシーンで...曲が入ってこなくてね(笑)。なかなか入ってこなくて。その前に、呼吸を見せたいっていう話もあって背中で。それは採用されなかったんだけど、でももう間が持たないからそれをやろうと思って「コホー、コホー」みたいな感じで(笑)。それをやってた時に、音が入ってきて。しかも音も途中から入ってきて。

 

三浦:うん、途中からだった。だってあれ無音の時にもう丸とか入ってきてたよね。もう「音出てねえ」って。

 

兼盛:そうなんだ。僕わかってなかった。オペの人はスタートを押したんだけど、ボリュームを上げるの忘れてたんだよね、多分ね。

 

三浦:でも、本番音が入ってきてなんとか立て直したんだけど、丸とかブチ切れてたからね。ベルトを外して床に投げつけたり。

 

兼盛:まこクラ(まことクラヴ)もそのコンペに出てで、さいさいはまこクラとM-labo両方に出てたんだけど、最初の予定では、まこクラとM-laboの上演の間に別の作品が一つ入ってたのね。当日行ったらそれがなくなってるの。これじゃ僕たちできませんって言って、前の作品がどうしてそうなったかって聞いたら「その作品は立て込みがあるから休憩時間の後になりました。」って。そんなこといきなり言われても困りますって言ったら、「いや、向こうの人は先に言ってるんですよ。」って。はあ?僕たち今聞いたんですよそれ。できませんよ!ってなって、仕方ないからさいさいが着替える時間は少し待ちましょうってなって。それなのに、まこクラ終わったら「すぐに出てください。」って言われて、だから出れないって言ったじゃん!ってなって(笑)。あれは印象深いな。

 

三浦:あのトラブルはひどかった。俺も「うわぁ、最悪。これ絶対作品壊れたしダメだ。」と思ってたら、優秀賞(笑)。

 

兼盛:賞いただきました(笑)。

 

三浦:ラッキーだったなみたいな。

 

兼盛:丸ちゃんの怒りがそこで。怒りのエネルギーが結構良かったのか。

 

三浦:わかんないけどね。もしそのオペミスがなかったら最優秀賞かもしれない。わかんないけどね。でも、最優秀賞まこクラだったから。友達だったからいいんだけどね。

 

兼盛:他はあのシーンかな。

 

三浦:やっぱあれだね。

 

兼盛:毎回やるお約束のシーンがあって。

 

三浦:振付でね、そういうシーンがあって。

【そんなシーンがあるんですね。話は変わりますが、そうして活動をしていたM-laboが活動を停止すると聞いた時はどんな感じがしましたか?】

 

兼盛:それはちょっと楽になった感じが。良かったみたいな感じで。子供もできてたしね、ちょっとなんかこのままこの感じでは続けたくないなという感じはあったからね。ちょうど良かったかなという感じだから、僕としては。だから逆に始める時にすごく悩んだ。今回オファーをもらってね、すぐには「はい参加します」っていう感じにはできなかった。

 

三浦:かねやんだけワンクッションあったね。

 

兼盛:相当悩んだ。どうだろう、下の子も生まれて。去年の今頃でしょ?オファーがあったの。前から少し復活するっていう話はあったけど、すごい悩みました。

 

三浦:まあ、なんで停止したかっていうと。もちろん、みつとか今っちゃん。今っちゃんもカナダに行ったり、みつも笠井瑞丈×上村なおかで活動したいっていうのもあったろうし、さいさいも自分の凶暴ノートやってきて世界装置をやり始めたり、かねやんに子供ができたり、丸も子供がいる以上、照明の仕事が大変になってくる。秀ちゃんも子供が生まれたりとかっていうところと、あとカンパニーの体力というか持続力。まだおそらく持続はできたはずなんだよね。2010年以降数年ぐらいは、でもあそこで停止してなかったら完全に解散になってた。あと2年、2012年に「もう俺辞める」ってなっちゃってたかもしれない。それが怖くてちょっとここで停止するって。皆の生活もあるし、新たな人生をこう生み落としてる人もいるわけだから。でもその、僕がM-laboを無理やり続けて解散になったとしたら、他の、かねやんと俺との関係とか、さいさいと俺とか、丸と俺とか、俺の仲間との関係性も完全に壊れると思ったから。

 

兼盛:そこまで。

 

三浦:そこまで思ったよ。結構危機的な感じだったよ、俺の中で。でもそれだけは避けたいから、そのための最善の策ってなんだろうって思った時に、停止して。当時はやっぱりそこから生きていくなかで、皆どうしていくのかっていうのがやっぱり結構不透明になってた時期だったんで。俺自身も含めて。だから少し靄が晴れて、まあなんとかいけるかなっていう風になったらもう一回やろうって。それが今ぐらいの時期だったんだけど。この7年があったから、そんなに血眼になってM-laboを売り出していこうっていう感じはないし、制作のノウハウみたいなものも経験として7年前より全然あるっていう自負もあるから、これならできるかなと。やっぱり、せっかく10年かけてあそこまでやってきたメンバーを失いたくなかったら停止したんだけど。で、実際じゃあやろう。もう一回あと10年やってみようと思うんだけどって言ったら、こっから先の10年でね、例えばさいさいが昔言ってたんだけど「10年なんて、僕東京にずっといるかわかんないよ」とかって。それはそれでいいんです。人生だからさ。俺だって東京にいないわけですし。ただ始めるには停止した時のメインのメンバーは一緒にやりたいっていう。ここからまた同じようにスタートを切って、ここから先もいろいろある。かねやんがちょっと3人目できちゃったしとか、今年は無理だわとか、ごめん嫁さんと子供をほっといてちょっと放浪の旅に2年行ってくるとかってなる可能性もある。それはそれでいいんだよ。ただ始める時に一緒に用意スタートって走ってみようかって。あとは寄り道したり道草したりするのはどんどんやればいいと思うし。うさぎさんみたいに、走った後に亀に抜かれるまで寝ててもいいわけ。休むって言って、一年何もしたくないっていう人がいたらそれでいいじゃないですかっていう。ただ僕は、後10年は目標としてやり続ける。そこでどういうことが皆に起こるのかっていうこと。丸が、俺ダンサー辞めてM-labo照明やるからってなるかもしれない。多分ならないけど(笑)。

 

兼盛:でも丸ちゃんと三浦さんは基本でしょう、M-laboの。

 

三浦:でも丸ちゃんが例えばね、俺ダンサーじゃなくてもM-laboは照明でっていう風になったら、それはそれで全然いいと思うし。

 

兼盛:それはそうだよね。照明家だもんね。照明家としてM-laboをやるっていうのも彼の中でダンサーとしてやるのと変わらないっていう考えかたもあるかもしれないっていうことだよね、それは。

 

三浦:なんかそういう色んなことがあっていいのかと思う。だからカンパニーだからって別にさ、と言いつつpayしてるわけじゃないから雇ってるわ

けじゃないので。だから好きにしてくれっていう感じ。ただ一緒にやれる時はやりたいなっていう。余裕があったらやろうよっていう。

 

兼盛:歴史があるっていうのは面白いですよね。その、ずっと10年やって7年休んで。でもこの前久しぶりに集まって稽古をする。7年の間、僕は斉藤くんと6年間一緒にやってていう環境で、三浦さんっていう演出家の方に集まるっていうことに、それぞれに会うっていうのと違う空気感があるっていうのは面白い。時間かけて作り出された空間であるなっていうのは、他にないものだから。それは僕にとって良い空間で面白い。それが味わいたくて僕はやっぱり「やります」ってなったんだと思う。稽古の時に他の人の踊りを見てられるのが「幸せだなー」って思う。あぁ、これ見ていられるんだ、近くて見てていいんだみたいなさ、幸せな時間。

 

三浦:そこが、カンパニーっていうか。まあカンパニーっていう名前を借りてるけど、カンパニーってやっぱ会社だから。CEOがいてさ、その人が雇ってるわけじゃないですか。お金を払って。そういうものではないから、名だけのカンパニー。集団です。なんか、身体表現集団であるっていう。ただなんか、役割があって。丸ちゃんは丸ちゃんの役割、さいさいはさいさいの役割。かねやんはかねやんの役割。役割っていうか所在をわかっていて皆。その人たちが全然違う仕事を皆するわけよ。でもその人たちが集団となって一つのものを作るっていうのは形式としてはカンパニーの形式だからさ、会社と一緒だから。この役職・この役職・この役職っていう全ての役職が揃って一つの作品ができるっていう、そういった意味ではカンパニーだと思っているし。ある意味では、かねやんが前の10年を制作やりながら作品の中でこういう部分を担ってくれてるっていう、そして全体の集団の活動としてはかねやんは結構強いところに柱に立ってくれてたりしたんで。さいさいは制作的なところは何にもしないんだけど、作品のところでかなり強く存在してくれたりとか。皆役割分担をしっかり自分でわかって、相手も認めて、まぁけなしたりもするんだけど、基本的には認めて成立しているっていうのは、僕の中では結構類い稀な感じがする。こんなことできると思ってなかったですから、始めた頃は。ただこう暴れてうわーってやってるだけだったからね。

 

兼盛:暴れてましたね。

 

三浦:なんかジュリーの歌をここで叫ぼうぜみたいな。それがなんか冷静に年とともに客観的に見えてくると、しっかり皆すごいことが行われているなという感じはしてるけどね。それがまたできるのは嬉しいなという感じがする。

【最後に。兼盛さんにとって、M-laboとは。】

三浦:プロフェッショナルだよ。今ここで音楽が。スガシカオの音楽が。

兼盛:ちょっと音楽入れてもらっていいですか(笑)。なんだろうな、男ですね。一つだけわかってるのは、わかってるっていうか、ちょっと男性恐怖だったことがあるんですね、僕は。M-laboに入ることによって、その男の中に入るっていうことに対する恐怖感がなくなったっていうのは。男だけのグループっていうのが苦手で僕は。それはM-laboに入ることで大丈夫になったっていう。

 

三浦:良かったねぇ。

 

兼盛:いいのかそんなので。いやちょっと待って。もうちょっと考えさせて。

もう一回音楽お願いします(笑)。

 

三浦:(鼻歌中)

 

兼盛:でもなんだろうな。いろんな広がりをもらったと思いますね。出会いが本当に。タラフマラにいる時に広がりがなかったから。だから、そこで出会えたっていうのはいろんな人に出会えたっていうのは...ちょっと待って。もう一回。決まらない、決められないな。難しいよ、一言で言うのは。なんだろう、うまくは言えねえなぁ...。

うーん、来週でいいですか?(笑)

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