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2017/02/12 M-laboratory活動再開に寄せて〜丸山武彦インタビュー

2010年の活動停止後、2016年度活動を再開したM-laboratory。7年の時を経ての再開。

いよいよ今月25日・26日は再開後初となる新作「Moratorium end」を上演いたします。

M-laboratoryを立ち上げた丸山武彦と三浦宏之による対談。お二人に「M-laboratory」について聞いてみました。

【M-laboratory結成の経緯を教えていただけますか?】

 

丸山:最初のセッション(神楽坂SESSION HOUSE)のやつ(熱源譚・1999年)をやるよりもだいぶ前から、「いつか一緒にやろうよ。」みたいな話はしてたんだよね。飲んだ席で。

 

三浦:大体、飲んだ時だった。

 

丸山:ね。飲んで「そのうち一緒にやれたら面白いんじゃねえか」みたいな。

 

(それはいつ頃からそういう話をされていたんですか?)

 

丸山:三浦と知り合ったのは多分1996年ぐらいで、最初にセッションでやったのは1999年だからその3年間ぐらいの間かな。飲みの席で特に具体的な話ではないけれど「なんかやったらいいんじゃないか?」みたいな。

 

(その3年間は別のところで一緒にされたりしていたんですか?)

 

丸山:バオバブ(BAOBAB SYSTEM 後のバオバブファミリー・故野和田恵里花 主宰)くらいじゃない?

 

三浦:バオバブ、要するに恵里花さんのところ。恵里花さんが大体色んな人を繋げてくれたっていう感じです。

 

丸山:それ以外で別に一緒にはやってないよね。

 

三浦:二人で何かっていうのはね。

 

(それでは野和田さんのところで一緒にされていた感じなんですね。)

 

丸山:恵里花さんのところで一緒にっていうのはあった。

 

三浦:バオバブでも微妙になんかこう「一緒にやる」っていうのもあまりなかった。「雑」(2000年・BAOBAB SYSTEM )ぐらい?

 

丸山:「雑」ぐらい...あれ?三浦は六本木のやつはでなかったんだっけ?

 

三浦:六本木?

 

丸山:俳優座劇場でやったやつ。

 

三浦:全体の作品?それとも、それぞれの人が作った作品?

 

丸山:一応バオバブとしてやったやつ。出てないか。オクダさん(オクダサトシ)とかユフさん(神崎由布子)とかチコ姉(勝部ちこ)とかいたやつ。

 

三浦:あぁ、全然憶えてないや。

 

丸山:(笑)。でもいなかったかもしれないなとも思う。

 

三浦:あ!七夕の(BAOBAB TREE・作:野和田恵里花)

 

丸山:そう、七夕。

 

三浦:あぁ!いたいた。

 

丸山:いた?いた?七夕、七夕。でもあの時は役割が違うっていうか...。

 

三浦:違かったね。だから二人としてはあんまり一緒にはやってないよね。

 

丸山:「雑」はそれでも男子チームの時間みたいなのを恵里花ちゃんが作ってくれたから。

 

三浦:あれでもなんか、エムラボの原型的なものがあったよね。秀ちゃん(鈴木秀城)とか今っちゃん(今津雅晴)とかいて。

 

丸山:そうそうそう。

 

三浦:田染さんにもでかい鉄のオブジェ作ってもらってね(笑)。

 

丸山:そうだ(笑)。

 

三浦:あの頃さ、タラフマラ(パパ・タラフマラ)の影響っていうか、タラフマラの影響だよね(笑)。舞台美術にバカみたいにお金かけて、本当にどうしようもなかったんですよ。

 

丸山:よく作ってくれたよね(笑)。で、まあまあそんなことがあって、俺が21(神楽坂SESSION HOUSE シアター21フェス)で一回ソロをやったんだけど、ソロが大変で...。直子さん(伊藤直子)はそれでも「面白い」って言ってくれたんだけど、ソロはもう...(苦笑)。で、その後もう一回21の枠がとれたの。でも、ソロをもう一回やる気にはなれないなと思って。どうしようかな...枠を取ってはみたがアイデアがない。ちょうど仕事で名古屋に行ってた時なんだけど、ふと「そうだ。三浦が空いてたら三浦とやればいいんじゃないの?ずっとやろうって言ってたし。」と思って三浦に電話したら「いいよ、いいよ。やろう、やろう。」って言って。それが要はM-laboの最初の公演みたいになった。

 

(その21がM-laboratoryの最初公演になったということなんですね。)

 

丸山:最初だね。「熱源譚」。

 

三浦:そっから、団体名とか。M-laboratoryとかって言って。それは結構僕の判断で勝手につけちゃった感じもあるんだけど(笑)。

 

丸山:三浦に声をかけた時は「じゃあ、チームを作ろう」みたいな思いはそんなに俺の中ではっきりしてた訳じゃない。でも、まあずっと言ってたし、ちょうどいい機会だし、とりあえず10分作品を作ってみたらいいんじゃないかと思って電話したら、三浦が「M-laboっていうの俺考えたんだけどさ。」みたいな。なんかそれをまた直子さんが面白がってくれて「来春...」

 

三浦:「次なんかやって」みたいな。

 

丸山:そう。すぐ次の話になって。だからその秋(1999年)に10分やったのが3月(2000年)春には30分枠でみたいな話になって。

 

三浦:マド(マドモアゼル・シネマ)とね。

 

丸山:マドモアゼル・シネマとダブルビルでっていう話になって、そこからもうトントントンって。あれ、このプロジェクトはもう動いていくんだねみたいな。俺、最初電話しただけだけど、もう転がり出しちゃったみたいな(笑)。

 

(そうだったんですね。)

 

丸山:そうそうそうそう。

1999年 「熱源譚」 photo:Takashi Ito

(三浦さんの中ではM-laboというのは以前からあったんですか?)

 

三浦:丸ちゃんが21でやろうよって言った時に、俺の中では勝手に全部「始まった!」みたいな感じがあって。当時から覚えていて、今でも俺同じ気持ちもあるんだけど、丸ちゃんとなんかやろうって言ってた時に「もう、ダンスは終わってるよね。」って。息巻いてた。

 

丸山:言ってたね(笑)。

 

三浦:「もうダンスじゃないでしょう。」っていう感じで、「じゃあ何かやろうよ。」って言ってたんだけど。それでね、そのパンフには「いつかやろう」って言いながらダラダラ飲んでいた期間を構想期間として、「2年間の構想期間を経てM-laboratory 結成」とかね、勝手にちょっと話を膨らませて。そこでちょうど「雑」があったりして今っちゃんとかがわーっとなって入ってきて、さいさい(斉藤栄治)とかも。

 

丸山:二人を巻き込んだりしてね。ちょうどさいさいは、研究生だったけ?

 

三浦:まだ研究生。

 

丸山:なんかタラフマラの研究生をやっているくせに、タラフマラに染まってない面白い奴がいるなとは思っていて。

 

三浦:そこらへんからだね。本当になんか転がっていっちゃった感じ。

 

丸山:すごい準備に準備を重ねて始めたっていうよりは、とりあえず立ち上がってみたら転がり出しました、みたいな(笑)。

 

(すごく二人で話し合って、準備して結成されたのだと思っていました。)

 

丸山:いやいや(笑)。まあでも喋ってはいたよ。

 

三浦:それは準備だよ。それが要するに、準備はいっぱいしてたけどその準備っていうのは酒の量に比例してたと思う。なんか...そうね、直子さんあそこでが「次」って言ってくれてなかったら、あの速さの展開はなかった。

 

丸山:なかったかもね。そう思う。

 

三浦:「Heat Island Project」とかって言って、勝手に出し始めちゃって。

 

丸山:どんどんね。

 

三浦:「うわーい!」みたいになっちゃったんですよ。「やろう、やろう。面白い。」みたいな。当時は若かったから。結局「Latest Heat」、「トウキョウヒート02」ぐらいまで。1999年から2002年ぐらいまで、3年ぐらいバーっと。

 

丸山:「熱いシリーズ」(笑)。

 

三浦:まあ戦争の方も結構熱いけど。「ジョニー」(ジョニーは戦場へ行った(仮)・2003年)とか。

 

丸山:熱い熱い(笑)。

 

三浦:わかんないけど、結成したんだろうね。二人でこじんまりと。

 

丸山:まあね。そうだと思う。割とヒョイっと電話して「やろうか」みたいになったけど...「熱源譚」作る時のあの稽古場。何先生の稽古場だっけ?

 

三浦:どこでやってたっけ?

 

丸山:あのさ、府中の方のさ。恵里花ちゃんの紹介で、一軒家の稽古場に一週間ぐらい詰めたじゃん。黄色っぽい家。覚えてないかな?

 

三浦:シンジさん(中村しんじ氏)のとかじゃないよね?

 

丸山:俺もねその先生を直接よく知らないんだけど。そのちょっと前に、恵里花ちゃんと一緒に出たおじいちゃん先生の4人ぐらいでやる作品の稽古場で、それも恵里花ちゃんの仲介でその稽古場借りてたんだけど、ほとんど使ってないから自由にしていいよって感じで。

 

三浦:全然、覚えてない。

 

(一週間詰めて稽古されたんですね。)

 

丸山:一週間ぐらい詰めたよ。江澤(音響 江澤千香子)さんも三日ぐらい来て、音詰めてもらうのに。いわゆる区民会館とかで3、4時間の切れ切れの稽古じゃなくて、割と昼前に行って暗くなるまでやるみたいな、がっちり稽古やるっていう。体を動かしている時間もさることながら、どういうコンセプトで作るかみたいなのを喋った気がするんだよね。あれが割と、その後に対するなんていうか、雪だるまの最初のつぶてじゃないけど、それになってるかなと。あそこがふわふわしてたら、ただなんか形だけ作って10分終わってたかもしれないけど、割とこう、酒飲んでないけどこんこんと、コンセプトを一日3時間ぐらい喋ってる時間があるっていう。

 

三浦:動きだけでなく、言葉も使おうとか。「泥にまみれる。」とかって言って。

 

丸山:やってたね。

 

三浦:丸ちゃんが東北の岩手出身。僕は関東で。そして、僕はひょろ長くて腰も高い、丸ちゃんはずっしりしていて腰が低いみたいな体の違いとかあったりして。二人ともバレエとかさ、頑張って何回転回れるかとか、どれだけ高く飛べるかみたいなこともやってたけど。「熱源譚」はやっぱりね、あれが多分、今の自分の表現を作ってくれているというか。あれがなかったら無いね。今も「Moratorium end」とかってやってるけど。あそこでコンセプトが明確にはなった。初演では体に半紙をぐるぐる巻いて、バリバリって破るとか、その時の質感とか感覚とか、言語とか。南部牛追い歌とかも使って。

 

丸山:やったね。

 

三浦:土着の民謡を丸ちゃんが歌って、それで踊るとか。なんか、やってたよね。

 

丸山:さおり(宮沢さおり)ちゃんが大爆笑してた(笑)。

 

三浦:あれは笑うよね、やっぱね(笑)。

 

丸山:でもね、なんか「笑うのか。」っていう感じだったよね(笑)。

 

三浦:それは思った。こっちは真剣だからさ(笑)。

 

丸山:真剣なればこそ面白かったんだろうけど。あれにちょっとでもいやらしい思いがあって「ここは笑わせられるだろう」とか思って作っていたらあんまり面白くなかったんだろうけど。すげえ大真面目にやってたからね。

 

三浦:本気でなんか、真面目に作ってたけど...。

 

丸山:場内大爆笑っていう(笑)。

 

三浦:真面目にやればやるほど客が笑っているっていう(笑)。よくある事なんだけど。面白いよ。舞踏始めた時もそう。自分が真剣にやると人が笑うっていうことはよくあったんですよ。でも、丸ちゃんと、人とやってね、なんかそういう、こっちがアクション起こした後の観客のリアクションが意図してないものっていうのはやっぱり面白かったよね。

 

丸山:前列とかこうやって(笑いを無理やり我慢するような動作)笑って見てるから。クククククって(笑)。

 

三浦:でも今考えたらおかしい。

 

 

(その時にコンセプトがぎゅっと固まった感じでしょうか?)

 

丸山:割と出来たような気はする。飲みながら「今から新しい動きなんかないんだよ。」って息巻いてたのが、ある種ふわふわした言葉で言っていたのが、じゃあ俺らはどう動くのかっていう一つの塊として作ったのが「熱源譚」かなという気はする。そこから転がり出したっていう。

 

三浦:そのまんま20年近く転がっちゃったって感じ。転がり続けちゃっているっていう。誰か止めて欲しいっていうのもあるんだけどね(笑)。

 

(一同笑)

 

三浦:でもやっぱりね、今思ったんだけど「熱源譚」っていうタイトルと作品は、熱源譚ですね、まさしく。今もこうやって、こういう形でやれているその「熱源の話」がそこにはあった。やっぱりまさしく熱源譚だったね。20年経ってやっとあの作品の意味が現れてくる。

 

 

丸山:30歳前の男二人が暑苦しく喋ってたんだよね。そのことに対して。

 

(その後、次々と作品を作り続けていきますが、作品作りのスタイルなどは?)

 

丸山:俺としては、作家性は三浦に任していたので。

 

三浦:いやでも、紆余曲折はあったよ。特に初期、丸ちゃんと二人でやっていた時はいいんだけど、メンバーで今津とかさいさいとか、女性でさおりちゃんとかMILLAとかが入った時に、そうなってくると僕も作家としてまだ弱いっていうか、なんか自分がこうどこまで出来るかわかんない状態でやっちゃうこともあって。実際、例えば「body+musical Instrument」とか、それぐらいの時に三軒茶屋のトラム(シアタートラム)の前の変な横丁に今っちゃんと丸ちゃんに呼び出されて酒を飲みながら「お前はどうなってるんだ!」と言われるみたいなこともあった。

 

丸山:三茶だったっけ?

 

三浦:あれは三茶。

 

丸山:「body+musical Instrument」で思い出した。なんか言った(笑)。

 

三浦:あの頃はね、皆若いっていうのもあるし、僕がメンバーを顧りみずに一人走りすることがやっぱり多かったんで。

 

丸山:そうそう。三浦がバーっと行っちゃって。「ちょっと待て待て待て待て!」みたいな。「それ、待て!」「ここに全然ついて来れない人いるからちょっと待て!」みたいな(笑)。でもなんか、わーって行くし。後ろから髪を掴んで、後ろで「待て待て」みたいな。

 

2000年 「Latest Heat」 photo:Masaki Hirooka

2001年「body + musical Instrument」

三浦:「トウキョウヒート02」あたりで、まあ落ち着いたよね。

 

丸山:落ち着いたよね。あそこは一山超えたあたりかな。

 

三浦:当時は僕も作っていけそうだっていうのがあって、結構盲目になってた部分があったりして、色々あった。

 

丸山:「Latest Heat」のあたりなんて、もの凄い。「ここでやって、ここでやって、ここでやって!」みたいな。こんなに本番ができるのかみたいな(笑)。

 

三浦:「暴走する男達」をセッションでやった二日後にウエストエンド(Westend studio「Latest Heat」)みたいな。

 

丸山:だよね。

 

三浦:めちゃくちゃだよね。今考えると。

 

丸山:本当にね(笑)。

 

三浦:本当に申し訳ないなっていう(笑)。新作フルレングス2作品を同時に稽古してたっていう。

 

丸山:信じられないペースで。

 

三浦:さいさいとかも昔は言わなかったけど。最近とか、当時は要するに借金して作品作ってたから、「バカじゃないの?」ってこの前とか言われて。飲んだ席で(笑)。「借金して作品作るなんて、バカだ。」とか言われて。その当時は制作的にも全く考えが及ばず、とにかくやりたいことをやっちゃって。人件費もかかるだけかけちゃって。で、客は集まらないっていう。

 

丸山:でっかい机作ったりね。

 

(でっかい机?)

 

丸山:うん。あのね、二間ぐらいあるのかな?

 

三浦:うん、二間ぐらい。

 

丸山:二間ぐらいあって。机だけならいいんだけど、立ってる。立ってるものを横にすると机になる。塔みたいになっててダーっと立ってて、それを倒して机になる。

 

三浦:その時には壁もあったからね。動く壁。バカみたいですね。あれは凄まじい借金になって。で、なんか常に大体自分が人に迷惑かけて作品作ってたなと。まあ今もそんな感じなんだけど。そんなのもあったね。

 

丸山:そんなのもあったな。でもまあ、作り手だし三浦は。その中で自分はどうしていくかっていうのは、まあね。どうなんだろうね。俺は割と作品に関してはあんまりね。作品作りみたいな、姿勢みたいなことにはそうやって言っていたりしたけれど、作品そのものに関して俺はあまりアイデアの無い男なの、割と。そこはダンスに徹するっていう。またね、三浦のつける振りがね、全貌が見えないとよくわからない。全貌が見えてようやく「あぁ、俺のここの振りそういう感じだったのか。」みたいなのがあるから、とりあえず最初からあまりブツブツ言わないようにしようとか思ったりしてる。

 

三浦:皆、苦労してると思う。

 

【これまでに一番印象に残ってる作品は?】

 

丸山:どれだろう、印象っていうか...意外と今、ふと思ったんだけど、ピース韓国が面白かったかもね。

 

三浦:おおおおおっ!

 

丸山:無駄に広いところで(笑)。

 

三浦:なんか後ろに...なんかね、

 

丸山:港があってね。

 

三浦:そうそうそう。

 

丸山:10間あったもんね。10間四方あって。広いなーと思って。

 

三浦:行ってみるまで、あんなに広いと思わなかった(笑)。

 

丸山:図面見てもね、半信半疑だったもんね。

 

三浦:わかりづらいんですよ。

 

丸山:ちゃんと図面として書かれたものじゃなくてね。定規でただ線ひいただけみたいな(笑)。

 

三浦:野外なんだなっていうのはわかったけど。

 

丸山:10何メートルって書いてあるから、ほぼ10間だけど本当に10間なんかあるのかなって思ってたけど、行ったら10間あるから「マジかよー」って。

 

三浦:でかかったね。照明なんかこっちでプラン出してもあってないようなもんで。

 

丸山:挙句、照明さんが英語が全然わかんないから、英語で言っても全然通じず。カンパニーについてもらった通訳の子は舞台の人じゃないから、

 

三浦:学生さんみたいな感じだったのかな。

 

丸山:照明をこんな風に言っても、舞台の話として通じあえないから。だから、なかなか要領を得ないんだけど、あのだだっ広いところでできたのは楽しかったな。

 

三浦:叫びまくってたね。

 

丸山:セッションとかで男6人とか、ウエストエンドとかで8人とかでやっても、割とぎゅうぎゅうのところでどう暑苦しくやっていくかみたいだったのが、舞台がドーンと広がっちゃうと「おっと、俺これ何すればいいのかな」っていう。ちょっとね、どうしたらいいかって一瞬思ったんだよね。広いなーって。出すとかじゃないなもうこれって。

 

三浦:閉塞感が皆無だったから。

 

丸山:皆無。しかも夏のビーチだからね。あれで寒いとかだったら、その中でなんかできるかなっていうのはあったのかもしれないけど、もう何にもない。あったかいし気持ちいいし、向こうには綺麗な橋はあるし。さあ、ここで俺は何をする?みたいな。しかもやっていることはこの空間に似合わない。「でもなぁ、せっかく来たから面白いことしたいしな」っていうのはあった。

 

三浦:ビーチフェスだったからお客さんも1000人ぐらいいて。ステージ側の客がワイワイやってて、ビーチだったからステージの後ろとかにも人がいたりしてさ。変な感じだったよね。「なんでもありか」みたいな。

 

丸山:リハーサルしてるのも普通に見てるし。入場無料だし別に柵で仕切ってないから。ゲネとかも普通にまだ遊んでる人達が「おー、やってるやってる」みたいな感じで見てるから、ちょっと変な気分だった。割と韓国では有名なグループとかも出ていたりして、お客は集まってる。テレビとかも初日は来るみたいな感じだった。

 

三浦:その翌年から劇場になった。ビーチフェスだったのがビーチが抜けて釜山ダンスフェスティバルって言って、古典から洋物のモダン的なものやコンテンポラリーまでするようになって。ビーチのお祭り騒ぎは最後の年だったの。

 

丸山:M-laboの他の作品もみんな印象はあるんだけど、特にどれって言って選ぶには、みんな同じようにそれぞれ思いはあるんだけど、これだけなんかすごい飛び抜けて別物なのね(笑)。

 

三浦:メンバーも面白かったんですよ。さいさいもいなかったし。さいさい、今津、みつ(笠井瑞丈)という、どちらかというとダンスできる人達じゃなく、丸ちゃんは出来るけど、かねやん(兼盛雅幸)とヒデちゃんと丸ちゃんと、あとは今もうどこにいるのかわからないフジタク(藤田拓哉)っていう。なんかね。丸ちゃん以外はどちらかというとM-laboを脇から支えるようなタイプの人達がメインで出ていた。僕もね、丸ちゃんが印象に残ってる作品はなんだと質問されて考えている時に、思い浮かんだのは釜山でしたね。あれは何か面白かったよね。

 

丸山:あれは面白かったね。ちょっとやっぱ他の作品にはない印象が(笑)。

 

2008年「Short peace」

2010年 「停止。」 photo:Sakae Oguma

三浦:まあ、いっぱいあるからね。丸ちゃんはM-labo作品で出てないっていうのはないよね。

 

丸山:いや、でもね、いくつかある。草月(M-laboratory presents 草月美術館パフォーマンス・2001年)の時には出てないし。

 

三浦:あれは、M-laboの作品ではない。プレゼンツ、もともと今っちゃんの企画だからね。

 

丸山:後、りんご(SESSION HOUSE リンゴ企画2006)がね。

 

三浦:ああ、りんごもね。新作公演の作品って感じではないからね。りんごも意外に面白かったけどね。なんか遊べたよね。

 

丸山:遊べたけどね。俺は、まあ「自転車操業」(Mラボサタデーナイトホストクラブ 第4夜・2006年)を俺がもう少し頑張らなきゃいけなかったんだけど。三浦におんぶに抱っこだったから。

 

三浦:あの頃はしょうがないでしょ。

 

丸山:ドタバタしてた。

 

三浦:子供が生まれてすぐの一番大変な時だったから。だから、丸ちゃん踊らないとだめだから、僕が丸ちゃんの子供を抱っこしながら、作品を見て作って。

 

丸山:部屋(部屋のある穴〜Life in hole〜・2008年)の時のリハにも連れてきてた?

 

三浦:うんうんうん。だいぶでっかくなってて、その頃には僕には近寄ってこないっていう(笑)。

 

丸山:リハしてると「パパ〜」ってでてくる(笑)。

 

三浦:「通しでもやりましょう」って皆で始めるんだけど、さみしくなると舞台に入ってきて丸ちゃんのところに行っちゃう(笑)

 

【M-labo停止の話を三浦さんから聞いた時の心境は?】

 

丸山:どうだったっけ?停止の話はいつ言われたんだ...?

 

三浦:多分ね、俺もなんとなくなんだけど憶えているのは、丸ちゃんとかね(兼盛雅幸)を神楽坂のヴェローチェに呼んでそこで話した。

 

丸山:だったっけか。かねはいた気がする。

 

三浦:丸ちゃんには必ず伝えなくちゃいけないことだけど、かねやんは制作の方で「部屋のある穴」の時は制作だけでやってくれたり。結構支えてくれていたので、存在として。丸ちゃんとかねって僕の勝手なあれだけど、支えてくれてる人なんですよ。二人がいなかったら多分どっかでのたれ死んじゃうような感じなんですよ。なんか支えてくれてる二人にまず話さないと、と。多分そうだったと思う。電話じゃない。

 

丸山:確かに言われてみればかねと聞いた気はする。

 

三浦:その後とかに、さいさいとか皆に。

 

丸山:割とね、そうかと思った。そうか、止めるか〜って。なんか特にね「何故」とかっていう思いもなかったし、なんだろう、割とすんなり。別に消極的な意味だとも思わなかったような気がしたし。そうか止めるかっていう感じだよね。何ていうのかな。車で例えると、信号というわけでもないし、給油というわけでもないし。ただなんとなくアクセルから足を離してみた、みたいな。今までアクセルをぐーっと踏んづけてきたのが、三浦に「ちょっと足を離してもいい?」って言われて、一緒に車に乗ってて「うん。離してみたら。」みたいな(笑)。

 

三浦:惰性で止まったみたいな感じで(笑)。

 

丸山:スーって感じで止まって。止まったねぇみたいな。割とそんな感じかな。特にね、なんか、転がってはきたけど...そういう意味では「ここに行きたい!」とかっていう目的地があったわけでもない気がする。走ることが目的だったと言えばいいのか...。目的地があるんだったら「お前、止まってる場合じゃないだろ!」って思ったかもしれないけど、場所に向かっているというよりは走ることが目的だった気がするので「止まってみたい」って言われても「ああ、そうか」っていう感じで。なんだろうね。「じゃあちょっと一回車を降りて、ストレッチでもしてみますか」みたいな「背伸びしてみるか」みたいな。あんまりそこに対してグラグラするような心の動きとかって別に無かったんだよね。で、また三浦が「再来年やります」とか言いだして、やるのかと思って。じゃあまた車乗るか、みたいな感じで。「えーっ」とも思わないし、特にこう俺たちも年をとったねということもなく、また乗ろっかみたいな。前みたいにできるかな〜っていうね、年齢と体力的な問題はひしひしと感じつつも、「またちょっと走ってみるよ」と言われたら「じゃあ乗りますか」っていう感じ。そこはあんまり、割とフラットな感じ。7年止まってたけど、俺の中では地続き。7年になるけど、ずっと走ってた10年の間と作品と作品の間の半年とか1年とかのスパンも、この7年も気持ち的にはあんまり変わらない感じ。停止するよって言われても、「ちょっと今年は公演ないわ」って言われている程度みたいな。「3月に公演やって、今年はみんなも忙しいし、ちょっと新作やんないかな」とかって。「するなら来年かな。」「あ、そう。」みたいなのと、「ちょっと停止するわ。321で停止するわ。次はちょっとわかんない。」「そっか。」みたいな。俺の中ではそんな差でしかない感じかな。例えば3月やって、今年は公演ないって言われて。その年の暮れあたりに来年の6月にやろうと思うんだって言われて、わかりましたっていう感じ。ノリとしては。

 

【丸山さんにとってM-laboはどういうものですか?】

 

丸山:どういうものなんだろう...なんだろうね。果たしてこんな例えが自分の気持ちに合っているのかわかんないけれど。富士山とかそんなでかい山じゃなくて。なんか割と近所で、ちょっと行けば登れる山みたいなのがあって、そこから見る景色は割と好き、みたいな。山じゃなくてもいいのかもしれないけど、でもまあ景色を見る為に登る方法がエレベーターではないから(笑)。ちょっと山かな。ビルのてっぺん、サンシャインではないな。ちょっと苦労して、ちょっとだけ水欲しいし時間もかかるけど、行くとちょっと楽しい山がある、みたいな。そこから見る景色は結構好き。みたいな。で、なんか時々行きたくなる、割とヒョイヒョイ。まあ、しょっちゅう行ってもいいんだけど、しょっちゅう行く暇もないんだよなみたいなぐらいなんだけど、ずっと行っていないとやっぱり行きたくなる。みたいな。そう、そんなに遠くないところにある...

 

三浦:高尾山ぐらいか。

 

丸山:そうそうそうそう(笑)。行くかっていうには、行くぞって思わなきゃいけないんだけど、行って登れば「やっぱいい。ここから見る景色はいいよね。」っていうようなものかな、M-laboで作品に出るっていうのは。多分そんな感じ。

 

三浦:丸ちゃんはダンサーとして国内では何年ぶりの出演になるんだっけ?

 

丸山:国内でちゃんとチケット代をいただく席で踊るのは「停止。」(2010年)以来。

 

三浦:そっか(笑)。

 

丸山:アビニヨン入れても4年振りだからね。

 

三浦:今や、丸山武彦と言ったら「あの、照明さん!」っていう(笑)、若い舞台業界のダンサー達とかはさ。でもそれはそれで、昔からさダンスやってたりする人や、演者の人が裏に入って仕事していくっていうのはパターンとしてあったけど。でもなんかプロフィールかなんかに書いてあったけど「やめてない」っていう。

 

丸山:(笑)

 

三浦:それでさ、スラックラインとかボルダリングとかをやって、体を整えようって、ダンスを踊るところからちょっと離れても体に向かおうとしているのは見事だなっていう。僕は逆に体から抜け出しちゃってる部分があるから(笑)。鍛えようとかさ、そういうところが意識としては弱い。

 

丸山:俺は割と体にやらせて、なるべく一回意識をゼロにして「体がどう動くか」からいった方が割と自分の中では動きやすいので、そうするとやっぱり体が動かなくなると何もできなくなっちゃう(笑)。

 

三浦:いやでも、ダンサー...ダンサーっていうのも変だけどね...。

 

丸山:変だけどね。ピンとこないんだけど。「僕はダンサーです。」っていうとちょっとピンとこないみたいな。

 

三浦:そう。そのなんか、ダンスっていう言葉に対して懐疑的なんだけどさ。前にも言ってるんだけど。懐疑的っていうのはそれを疑っている訳じゃなくて、そのダンスっていう言語に自分の体にしっくりこないんですよ。

 

丸山:こないね。

 

三浦:それはねM-labo始める時に「ダンス終わりだよ。もうなんか違うでしょ」みたいに言っていたのがひたすら続いてて、これが続いてる、このモチベーションがある間はやれるのかなと思う。あるいは、ひょっとしたら停止させた時って、なんとなくM-laboがお金もらって、助成金もいただいて、お客さんもだんだん入り始めて、アサヒ(アサヒ・アートスクエア)とかでできるようになって、ってなった時に、その疑問が無くなっちゃってた感じもする。なんかダンスを作ってるぞみたいな。そこの違和感が消えそうになってきたからやばいなって思ったのかも。

 

丸山:なるほどね。

 

三浦:コンテンポラリーダンスのM-laboratoryの人たちですっていうのは気持ちが悪いんだよね。でもそれが少し無くなり始めちゃって。「あ、これでやっていきゃいいんだ」みたいに安心し始めていたから、やばいって思って。今はまた同じようにダンスを作る気は全くしてないので。あ、これを言ったらダンスをやってる人に、今回も出演者にダンサーがいるので失礼ですけど。でも、僕はただ単に体に向かいたい。ダンスっていう言語をどう体で感じ取っているかということとか、踊るっていうことが何なんなのかっていうことをそれぞれ体で考えて...、また、俺の話になっちゃってる。

 

(一同笑)

 

三浦:でもなんか違う言語感を共有したいっていうことなんだよね。体でね。確かなものはないなっていうことを続けていければ。意外に丸ちゃんと僕の中も不思議なもので、お笑い芸人のコンビ二人の仲みたいな感じ。付かず離れずという。若い頃はね、一緒に酒飲んで丸ちゃんの家に行って夜中になんかゲームやったりしたけど。

丸山:「バイト行くね〜」って出かける時に三浦がゲーム始めて、バイトから帰ってきたらまだゲームしてたから(笑)。

 

(一同笑)

 

三浦:廃人みたいな状態(笑)。若い頃は結構ベタベタしてたんだけど、何となくこうね。

 

丸山:そうね。うちのカミさんに「三浦さん今何やってるの?」って聞かれたから「知らない」っていうとさ「仲いいんじゃないの?!」とかって言われて。仲悪いわけじゃないけど、いちいち聞いたりもしないんだよねみたいな。

 

三浦:ダウンタウンとか、松っちゃんと浜ちゃんがお互いの携帯番号知らないみたいな。何となく分かるんですよね。なんか面白い。

 

丸山:逐一、三浦のこと聞くか?みたいなさ。

 

三浦:不思議な感じ。あんまり日常には...興味ないわけじゃないけど。

丸山:だからと言ってベタベタしなくてもいい。

 

三浦:なんか話の内容が全然知らないところに行っちゃった(笑)。

 

【では、最後に活動を再開した意気込みを】

 

丸山:意気込み?!そうねぇ(笑)。とりあえず筋肉痛を早く通過させないとね、体が動き出さないからね。ちょっとやっぱりね...ちょっとね。意気込みっていう点で言えば、いやらしい話ですけど「丸さん、まだ動くんだね」って観に来た人にはちょっとは思ってもらわないといかんかなとは思っているけど。切れなくなっている体をどうするか、あとひと月でなんか考えなきゃなと思ってる。ぐらいかな(笑)。

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