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2017/02/04 M-laboratory活動再開に寄せて〜斉藤栄治インタビュー

2010年の活動停止後、2016年度活動を再開するM-laboratory。7年の時を経ての再開。

今回は参加メンバー斉藤栄治と三浦宏之による対談。「M-laboratory」に参加するに至った経緯、停止のこと。

​色々なお話を伺いました。

【斉藤さんがM-laboratoryに参加することになった経緯は?】

斉藤:きっかけ。きっかけは三浦さんに声をかけられたので...入りました(笑)。

 

(一同笑)

 

その当時のM-laboやM-laboの作品に対して何か印象がありますか?】

斉藤:無いです。

 

(そうなんですね)

斉藤:一作目の「熱源譚」(1999年)は観て無いんです。

(熱源譚の後に、M-laboに誘われたということなんですね。)

斉藤:そうですね。その時(「Joule」2000年)に今津(今津雅晴)に初めてあったのかな。

(斉藤さんと三浦さんの出会いはそれ以前になるんですか?)

 

三浦:そのさらに2年ぐらい前になるのかな。

 

斉藤:そうね。その、僕はパパ・タラフマラの研究所に入って、三浦さんもパパ・タラフマラにいたから、何か一緒にやるってことは無いけれど、顔は合わせることがあるみたいな。そのぐらい。

 

(M-laboに誘われた時は、やってみようかなっていうぐらいの感じだったんですか?)

 

斉藤:そう...ね(笑)。

 

三浦:そこらへんはね。多分さいさい(斉藤栄治)はふーんっていう感じなんだと思うんだけど、さいさいに関しては僕からの一方的なコールですね。ラブコール。「熱源譚」の次の作品を男4人ぐらいでやりたいってなった時に、どこか喫茶店みたいなところでさいさいに頼んだんだけど。最初は「いやぁ、僕は止めておきます。」って言われると思いながら、僕はさいさいに打診していた。そしたら「いいですよ。」って。

 

斉藤:僕は全然覚えてない。

 

三浦:覚えてないよね(笑)。

 

斉藤:その時のことは覚えてない。

 

2010年 「停止。」photo:Sakae Oguma

【それ以降M-labo作品にはほぼ全てに出演されていますよね。印象に残っている作品はありますか?】

 

斉藤:もうね、作品はごっちゃになっていて、何が何だかわからない。どれがどの作品だったか(笑)。

 

(印象に残っているシーンでもいいですよ。)

 

斉藤:シーン?印象に残ってるシーン...あの何だっけ、ずっと立っていたのは何だったんだろう...。

 

三浦:あぁ、あれは「忘却都市」(2007年)。

 

斉藤:10分ぐらいずっと立っていたんだけど、まばたきせずにずっと立ってたのね。で、コンタクトレンズいれてるから俺。目が乾いて片方のレンズが落ちちゃって...っていうのを覚えてる(笑)。「忘却都市」だっけ、作品の最初で寝てたやつ。

 

三浦:最初に寝ていたのはそれ。

 

斉藤:その時、知り合いが観に来ていて「あれ?さいさい出てなかったよね」って言われてね(笑)。何言ってんだろうと思って聞いたら、ずっと三浦さんと勘違いされていて。全然似てないのに。

 

三浦:さいさいはいつもこの見た目じゃないですか。その作品の頃は髭のさいさい。さいさいといえば髭。だけど「忘却都市」の時だけ、髭を全剃りしてくれとお願いして。「やだよ」って言ってたんだけど、渋々...(笑)。だから髭が無いから、髭のさいさいしか知らなくて、僕のことをあんまり知らない人は、「あの寝てる人が三浦さんなんだ。」と(笑)。

 

見慣れた髭の斉藤さんがいないから、三浦さんと勘違いされてしまったんですね。)

 

三浦:おそらく。僕はほとんど「忘却都市」には出てなかったからね。まあ、少しは出ていたけれど。「何分も動かない」っていうのはさいさいのポジションになりつつあるね(笑)。

 

(どうですか、この話を聞いて。)

 

斉藤:あーそうか。まあいいかな...(笑)。

 

三浦:もちろん動いてもらうんですけどね。

 

【斉藤さんはM-laboの活動とは別に、ご自身の世界装置での活動などされていますよね。】

 

斉藤:世界装置での活動はM-labo停止して...。

 

三浦:停止と同時ぐらい?入れ替わりぐらい?  

 

斉藤:2010年からだから...

 

三浦:「停止。」が2010年3月21日だからそのあとになるのかな。

 

斉藤:そうですね。それまでは...、僕がM-laboに参加し始めたのは2000年?

 

三浦:さいさいが出演し始めたのは2000年から。

 

斉藤:でしょう。だからそれと同時に「輝く未来」(伊藤キム主宰)に入って。そのあと2002年ぐらいに「まことクラヴ」。

 

(3つ同時に活動されていたんですね。)

 

斉藤:その時は3つやっていた時もあったね。

 

三浦:M-laboと輝く未来、まことクラヴに加えて、さいさいの二人ユニットで「凶暴ノート」っていうのがあって、僕は自分の作品はさておき、キムさんやまこクラの作品に出演しているさいさいを見て、自分の作品の含めてさいさいが出ている作品は「凶暴ノート」のが一番好きでしたね。誰も、さいさいを凶暴ノートのさいさいのように使えないという。当たり前なんですけど。それが面白くてね、凶暴ノートは結構マニアなんです。よく観てましたね。

 

(凶暴ノートはどのくらいの間、活動されていたんですか?)

 

斉藤:5年ぐらいやってたのかな。でもそんな大きい作品は作っていなくて、20分とか長くても30分ぐらいとかそれぐらいだったような気がする。一回、岡山でも公演やったんです。

 

(そうなんですね。それはいつ頃に?)

 

斉藤:あれはいつだったっけ。M-laboを岡山でやった時だから...。

 

(「廃憶の日々」(2006年)ですかね。)

 

斉藤:その時、一週間ぐらい前に先に岡山に入って、小さい作品を3つぐらいやらせてもらったんですよね。

 

【活動の場が多岐に渡っていた斉藤さんにとって、M-laboという存在の位置付けは?】

 

藤:どうだったっけ...どうだった?かねやん(笑)。(Moratorium endリハーサル中の兼盛雅幸に向かって)

 

(一同笑)

 

兼盛:俺に振らないでよ(笑)。

 

斉藤:キムさんのところはね、大きなカンパニーになっていたからあれなんだけど、まことクラヴとかM-laboって、ちょっと上というかまことクラヴ部長の遠田誠にしろ三浦さんにしろ、先輩というかそんな感じだったので、いろんな作品の作り方があって「なるほどな」っていう。それぞれ全然違うから。でもまあ、みんなストイックに作品に向かってるなっていうのはあって。作り方は全然違うんだけど、熱の入れ方みたいなのは三浦さんなんて特にね。いろいろ借金こさえたりして馬鹿だなといつも思っていたんだけれども、頭悪いなって(笑)。

 

(その時はそのことを三浦さんに言ったりはしなかったんですか?)

 

斉藤:その時は言わなかったけど、後々は言ったかな(笑)。

 

三浦:後々は結構言われてるよ(笑)。さすがにそこの借金まではね。さいさいに言われて最近は「そこまでしないようにしよう」と思ってます。

 

斉藤:それが教訓になって、今世界装置はそこまでしないようにしようと。

 

(世界装置の小道具などは斉藤さんが作られていると聞いたんですが?)

斉藤:基本的にはね、ほぼほぼ。自分で作れる範囲のもので。

 

(M-labo作品で何か作られたことはあるんですか?)

 

斉藤:M-laboではない。一度、三浦さんに「羊の被り物を作って」って言われて。

 

三浦:それぐらいかな。それはM-laboの作品じゃなかった。

 

【M-laboratory停止について】

 

斉藤:あれは何年?2010年ぐらい?

 

三浦:停止は2010年。

 

斉藤:えっとね、その前ぐらいから、リンゴをやった2006年(セッションハウスリンゴ企画2006)のあの頃から、なんかもうダンスどうしようかなと思っている時期があって。30歳超えたぐらいかな、確か。どうしようかなとか思ってて、もうやめようとか思って。そういう事が自分の中でもあったのね。これからダンスどうしよう、みたいなのが。その前に「輝く未来」はなくなって、M-laboをやって、まこクラもやってたけれど、でもそろそろいいかなと思っていた時期だったから、停止してここで一旦一区切りっていうのは、ちょうど良かったのね、俺。まこクラもそろそろお休みするっていう感じで3年ぐらいお休みして、この前やったのが最後なんだけど。自分の中でだんだんフェードアウトしていこうかななんて思ってたんだけど、やっぱりどうしても自分で作りたいっていう欲望が出てきて。でも作るのって大変じゃない?大変だけど、なんとかそのもう少し楽にっていうので世界装置を始めたっていう。なんかちょうどその転換期っていう感じ。

 

(斉藤さんご自身が自らの今後について考えられていた時と、M-laboの停止がタイミング的に一致した感じでしょうか。)

 

斉藤:そうですね。

 

(M-laboの停止期間中は世界装置での活動がメインだったんですか?)

 

斉藤:人の作品に出ることもあった気がする。何か忘れちゃったけど...ソロで踊ることもあったし。今津の作品にも出たし。

 

2005年「〜はなぞの〜」 photo:Sakae Oguma

2008年「部屋のある穴​」 photo:Aki Takeda 

【今回M-laboが活動再開するとなった時に、やろうと思った訳は】

 

斉藤:やるっていうか...(笑)出てっていうから、あぁ、そう?っていう。なんかほら「クオリアの庭」(Works-M 2016年)に出たでしょ。M-laboの前10年の最後の方から三浦さんの作り方がちょっとずつテイストが変わってきていて、割と興味深かったから。今どんな風になっているかっていう。クオリアはメンバーが違うし、M-laboの歳とったおじさん達がどう使われるのかっていうのは興味があったので、まあ、ちょっとぐらい顔出してみるかっていう(笑)。

 

【停止前の10年と再開後でご自身中でのM-laboの位置付けは変わりましたか。】

 

斉藤:そうね、今なんか、何だろうな。なんかもうダンサーとしてやっていこうっていうのはないから。なんかこう、今は自分が何が楽しくて、それをどう形にできるのかっていうことをどうしようかなっていうことになっていて。だからその、わかんない。先のことが全然わからないし、これを続けていくんだっていうような、例えばM-laboをね続けていくっていう。失礼だけど、そういうのはなくて、来年になったらその先の話はちょっとまだ全然わかんないですっていうぐらいの、なんかね、全然フラフラしてますよ(笑)。

 

三浦:よく皆、40歳とか過ぎてやってるなっていう話なんじゃないの。「今、やれてる」っていうだけでいいんじゃないんですかね。それがなんか一緒に集まったらどうなるのかっていう。今回まだできていないけど、僕が振付するとか、三浦が作ってるっていうのではなく、皆はどうするかなっていうところが少しあって。それは7年間休んで、その間、みつ(笠井瑞丈)やさいさいとか、今津とか、勝手に自分で作って、そういう風な人が集まってできること。でもさ、さいさいはダンスをやめようかなと思って、意識的に、自分的に、今はやめてない感じなの?

 

斉藤:自分のやっていることをダンスって位置付けてないから。

三浦:あ、じゃあ一応ダンスはやめた。

 

斉藤:やめてはない(笑)。

 

(一同笑)

 

斉藤:半分ぐらいは片足突っ込んでるけど(笑)。世界装置に限れば、ダンスって言っていないので。

 

三浦:さいさいの作品は凶暴ノートは沢山観たんだけど、世界装置の作品は観た事がなくて。でもなんとなく、たまにこうチラシとかヴィジュアルとか見て、絵本でさ「すてきな三にんぐみ」っていう本があるじゃない。あれなんかイメージが近いよね、世界観的に。

 

斉藤:それを意識して作っているわけではないんだけど、割とそう言われる事はある。絵本的なっていう。

 

三浦:作る人間として、さいさいに惚れてるところがあるんですね。タラフマラ研究生の時に、さいさいが真っ暗闇の中で、モーターをカラカラ回して電球がつくみたいなのをただひたすらやっているっていう。でっかいホールだったよね。

 

斉藤:でっかかったと思う。

 

三浦:でっかいホールで一人でなんかそんなことやって動いてっていう。それを見た時に「うわっ」と思って。面白いなって。今でも結構さいさいの作品に対する自分の置き方はいいなと思ってます。最近は観てないけど、世界装置とか。でも、実際さいさいとこんな感じで話すっていうのは、これまでほぼ皆無だよね。

 

斉藤:そうね。

 

三浦:大体、酒飲んでる時にダラダラ話して、最後さいさいが剣幕を起こしているっていう状態が最近の構図になりつつあるっていうのがある(笑)。でもまあ、なんだろうね。いろいろ影響を僕は受けている。唯一かな。M-laboのメンバーで作品を作る上で影響を受けるっていう人。踊りとかは色々な人から影響を受けるけれど。さいさいはまあ、さっき言ったようなこと。結局なんだ。最後にさいさい意気込みを(笑)。

 

【それではあらためて、活動再開後初めての公演となる「Moratorium end」に向けて意気込みを】

斉藤:そうですね。最近動いてなかったから。あんまり人前に立っていなかったので、恥ずかしいなって。でもまあいっかと思って。頑張りまーす!

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