「DAWNORDUSK」東京公演
ソレハ、ヒノデカ、ニチボツカ
「今」と「ここ」という概念について深く考察してゆくことによって、「現在」の「日本」を身体を中心に時空化する試みが成された作品。
本作は元は東京公演以前に、沖縄、仙台での公演が行われる予定だったが、2020年コロナウイルスによるパンデミックの影響で沖縄、仙台公演ともに延期を余儀なくされ、東京公演が初演となった。
国内緊急事態宣言期間を挟むクリエーションによって、創作は上演直前まで「その瞬間の決断」が問われることとなる。
現在を語るにあたり、その身体性には日本の身体文化特性の過去の堆積から、洋の東西からの身体性の流入、近現代の具体的な史実に伴う身体への影響等も多く作品に取り入れられた。
また、それらを時系列に並べるのではなく、同時間軸にランダムに配置することによって「今」と「ここ」を克明に描き出すことを目的とし、その先に存在する空白の未来へのイメージをもたらすものとなる。
身体、楽曲、美術、衣装、照明が一体となった時にだけ出現する作品は、想像に値する未来を描く。
上演時間85分の感覚世界は、ほんの一瞬の出来事とも言える。
(以下、DAWNORDUSK東京公演当日パンフレットより)
「私は今ここにいる。」
と、いうことを伝えようとする時にふと思う。
今とは、こことは、何か。
それを伝えようとはするのだけれど、実のところ、それが相手に伝わった時には、すでにそれは私が伝えたはずの今とここではなくなっている。
相手に伝わるのは、過去の、そこの、私だ。
結局は一対の人間が時間と空間を完全に共有することは不可能なのか。と、嘆息することになる。
「今」というのは、未来の終わりと過去の始まりの瞬間の一点、すなわち未来が過去に変わる瞬間の一点であり、時間軸においてはその一点の永久連続性として捉えられる。さらに、その瞬間の一点というものは空白の未来と堆積の過去の存在の上にしか現れ得ない。
「ここ」というのは、私がこの言葉を記すために座っている自宅の椅子の一点を指しているのだが、拡大すれば、この部屋であり、東京という街であり、日本という国である。あるいは地球という星ということともなり、空間性においては、ここというものは無限の広がりを有している。
今は永久であり、ここは無限である。
すると、概念上では、今も、ここも、消失してしまう。
今も、ここも、その存在の定義を確実のものとすることはできない。極めて限定した事象でありながらも、自ら限定されることを嫌っているようなものだ。
唯一それを認識し、同時に体現しているのは、個のからだだけだと言える。
ひとつのからだは、そこに存在するだけで、今とここを語り尽くすものだ。
願わくば、そうであって欲しい。
令和二年 長月 三浦宏之
日時
2020年9月26日(土)15:00 / 19:00
9月27日(日)14:00 / 18:00
会場
小金井宮地楽器ホール 小ホール
作・構成・振付・美術・出演
三浦宏之
出演・振付
上村なおか
田中麻美
野口友紀
宮脇有紀
山科達生
丸山武彦
照明プラン 丸山武彦
照明オペレーション 古矢涼子
音響 角田寛生
装置 堀進太郎
楽曲 角田寛生 三浦宏之
衣装デザイン 三浦宏之
縫製 snkt
記録 MILLA
協力 兼盛雅幸
西井裕美
定方まこと
M・O・W M-Lab Open class & Workshop
Special thanks 天使館
鯨井謙太郒
助成 公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
制作 Re-production of performing arts Works-M
米谷よう子
主催 M-laboratory