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M-laboratory「Moment of motion」

田中麻美 × 三浦宏之 対談

M-laboratory 「Moment of motion」の上演を前に出演者と公演のプログラム・ディレクションをつとめる三浦宏之との対談を行います。3人目は宮脇、野口同様、本公演がメンバー参加後、初のカンパニー公演となる田中麻美。2015年からM・L・I M-Lab Institute(現在のM・O・W M-Lab Open class & Workshopの前身)のメンバーとして3年間の活動後、今年から自身のソロユニット「Snkt」を開始した田中と、三浦による対談を是非お楽しみ下さい。

三浦:対談も3人目ですね。どうやって始めればいいのかよくわからないのですが...始めます(笑)

 

田中:よろしくお願いします(笑)。

 

三浦:宮脇有紀さん、野口友紀さん、田中麻美さんと来て、3人とも5月にカンパニーメンバーオーディションを受けて、今回がニューカマーとして初めての公演となるわけですけど、そもそも何でエムラボに入りたかったんでしょうか?(笑)。

 

田中:(笑)エムラボに入りたかった理由は...好きだったっていうのは絶対条件ですよね。

 

三浦:好きって言う程、エムラボの作品を見てないでしょ(笑)。でも、メンバーそれぞれのソロとかは見てるのか。

 

田中:そうですね。メンバーそれぞれのソロは見ているし、それぞれが一人のアーティストとして活動している中で、その人達が集まっている集団。アーティスト集団みたいな。

 

三浦:まあ、言うほどではないけどね。

 

田中:でも、その人達が集まることで作り出すものっていうのにすごく惹かれました。

 

三浦:M-laboratoryを立ち上げた当初、僕と、丸山武彦っていう、今は照明家として活躍してる人ですけど、二人でユニットみたいに始めたんですよ。2作品目からは斉藤栄治や今津雅晴っていうダンサーが入って一緒にやり始めた。その時点でもう斉藤君とか今津君は自分でどんどん他の作品に出たり、さいさい(斉藤栄治)はキムさん(伊藤キム)の「輝く未来」っていうカンパニーに所属していましたし、今津は個人でカナダや他の海外に行ったりして、二人とも色々活動している人達で、その後、瑞丈(笠井瑞丈)が入ってきた辺りで、鈴木秀城さんとか、かねやん(兼盛雅幸)とかもそうだけど、カンパニーのダンサーだけじゃなくて、それぞれ自分で活動してる人達が集まってきたんですよね。私自身も、さいさいと今っちゃん(今津雅晴)が入ってきた時点で、作れる人達、自分の活動をしっかりしようとしている人達で、集団になった方が面白いなというのは考えていたことなんです。今もその感覚はあって、専属ダンサーみたいな感じでカンパニーに所属するっていうよりは、一人のアーティストとして皆に参加してほしいというのは、今年新しく入った3人のダンサーの人達にも思っているところなんですよね。でも麻美さんも今「スンクト」だっけ?

 

田中:「Snkt(スヌクト)」(笑)。

 

三浦:僕はそれがどういうものなのかあんまり知らないんですけど。麻美さんはさ、線画を描くじゃないですか、平面の。まあ絵画に近いのかな?絵画の表現みたいなこともやってるので、それを中心とした活動なのかなと思ったんですけど。ちょっとカンパニーとかダンスとか離れるけど、どういった感じなんですかねSnktって。一人ユニットですよね、今。

 

田中:そうですね。一人ユニットで、Snkt自体は一つの場所と自分の中で捉えていて。

 

三浦:Snktという場所ということ?

 

田中:そう、場所を作りたいなというのがあって、絵を描いたり、Works-Mのニュースレターに掲載されている「生活の六行」のimage photoを担当させてもらったりしていて、絵やimage photoを作る「場所」としてSnktを捉えていて、例えば1日だけスペースを借りて何かをする時も、Snktっていう場所。私が個人で作れる場所として、一つの固定された場所じゃなくて、どこへでも持ち歩きできる場所が欲しいなと思って作ったのがSnktっていう場所なんですよね。

 

三浦:要するに具体的な土地性を持った場所ではなく、麻美さんの考え方の中にある、表現する場所ね。それが絵だったり、踊りだったり、image photoだったりするのかな。

 

田中:そこで踊ったり、絵を描いたりすることで、人が集まってくる仮想の場所というか。

 

三浦:仮想の場所が現実味を帯びたり、仮想に戻ったりという感じかな。まあ、場所っていう意味では、カンパニーに話が戻ってしまうんですけど、M-laboratoryっていうカンパニーも一つの場所。スタジオを持ったりスペースを持ってるわけじゃないけど、一つの観念的な場所になるのかなとは思うんですよね。今まで参加した人や、参加してるけどしばらく出てない人とか、色んなメンバーがいるんですけど、まあ例えば、しばらく作品に参加せずにエムラボから離れていた人が、また戻って来れる場所、土地性を持たない場所として、ある意味カンパニーとしては続けているつもりなんです。場所ね。今、麻美さんもソロを作り始めているわけですけど、今度の「Moment of motion」に向けて。自分のからだについてはどう思いますか?場所として捉えているのかどうか。

 

田中:最近思うのは、借りてる感じはしてますね。

 

三浦:借家(笑)。

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田中:(笑)借家というか、住まわせてもらっている感じがしてます。というのが、からだっていうものが自分の思いとは裏腹にどうにもならないっていうことが状況によっては起こって、そうなった時に、それがなんでだろうと思う。自分のからだなのに何故コントロール出来ないんだろうって思うと上手くいかず、摩擦が起こるというかストレスが起こる。ある時、自分が自分だと思っている「私」とからだを切り離して考えた時に、すごく納得がいったというか、からだはからだできちんと生きていってくれていて、全てを私が管理しないといけないと思わなくてもいいんだと思って。だから、そう考えた時に、どちらかというと共生してるとか同居してる感じ。何かあったら話かけるみたいな、一緒に住んでる、共生してるなっていう感じがしています。

 

三浦:何となく、そこに住んでいる人とそこの管理人さんとみたいなことなのかな。わからないけど。まあでも、自分のからだを場所として捉える。一応さ、私としては一つのからだっていうのは場所でしかないと思っていて、例えば宇宙とか地球の上に僕たちは立って生きているわけだから、生きてからだが存在している以上、自分のからだを場所として占有しているわけじゃないですか。である以上、土地性から考えると自分のからだっていうのは一番身近な場所であり、そうですね、こうやって話をしてる時に、私は今、こうして(仕草をしながら)手の甲で頬をさすっているんですが、頬をさする自分がいて、さすられる自分がいるわけです。で、右手で左肩に触れるとさ、右手は肩に触れているけど、肩は右手に触れられているんですよね。その能動性と受動性の同一みたいなことが、麻美さんの言った住人と管理人と同居してる状態なのかな。でもそれっていうのは僕の考えだけど、踊りを踊るにあたって自分のからだを一つの物質として客観的に捉えていく、よく言われるのが楽器として捉えるとか、自分のからだを物体とか物質として捉えていくことが必要なのかなと。今ソロを作り始めていますが、タイトルが「果実の骨」。麻美さんのタイトルのセンスって面白いなといつも思うんですけど。

 

田中:そうですか(笑)。

 

三浦:「果実の骨」っていう、あんまりタイトルの意味とかさ、イメージみたいなものを言っちゃうと逆につまらなくなっちゃうと思うんだけど、タイトルがイメージするところから、麻美さんが今作品をどういう風に作っていっているのかっていうのはちょっと聞いてみたいです。

 

田中:今回共通のテーマをもらって、それを受けて私がそのテーマに向かう時に何ができるかなと思っていて、そのテーマから色々イメージや考えられることがあって、共通のテーマ自体からよく連想されるもの、思い浮かぶものを色々通り過ぎた時に、何か一つフォーカスできるものを作って、これは言ってもいいのかな...。

 

三浦:言っちゃってください。

 

田中:「食べる」。

 

三浦:「食べる」。

 

田中:「食べる」「食べられる」というのは自分の中でもずっとあったんですけど「食べる。食べられる。」という循環ではなく「食べる。食べさせる。」っていう何かすごく太い脈々としたものが流れている気がして、そうなった時にじゃあその先って何だろうって思ったんですよね。食べるっていうのは、要は身が太っていく、欲望としては取り込む欲望が強くて、身が太っていってそれがある日どこか臨界点を迎えた時点で、食べる欲求から食べさせたいっていう欲求に変わる瞬間っていうのがあって、そうなっていった後、きっと種になるのではなく骨になるんだろうと思って。その骨から、次の何かっていうイメージは湧いてこなくて、でもそれはきっと大元のテーマが持つ普遍性っていうところにつながっている気がして。私にとってそれは一人ひとつのものである。だから巡らなくていいと思って。

 

三浦:ほう。なるほどね。なおかさんのタイトルとは真逆のところにいってるわけですね。ちなみになおかさんのタイトルは「うつわをめぐる」。巡るっていう言葉が入っていて、麻美さんの方は、巡らないものであるっていうところに今行き着いている訳ですね。面白いですね。

 

田中:巡らないというところで、でもそれがなくなる訳ではなく、それならば動き続ける「骨になっても」っていうところで今クリエーションしています。作品の作り方としては、果実っていうもの、水分を含んでちょっとグジュグジュしているところから、形状が変化していくところをどうやっていこうかと考えているところ。動きの充実度っていうのは多分からだの体積が減っていくのに対して、逆に増していくんではないかというところで今やってます。

 

三浦:麻美さんの作品を岡山の時代から何度か見させてもらっていて、今の話を聞いても思うんだけど、作るにあたって元になるものがすごく感覚に寄っていて、その中でも触覚。ガリガリするとか、グジュグジュするとか、何かそういう感じを受けますよね。余談だけど、麻美さんの描く平面の線画も、そこから僕が受ける感覚って触覚的なところだなって思うんですよね。そこっていうのはあんまり、言語化するとかイメージとかじゃなくて、もっと直接的に感覚から作品を起こそうとしてるのかなと聞いていて思いましたね。具体的には何か書いたりするんですか?これは3人ともに聞いちゃってるけど。

 

田中:今話したようなことって、集中して「よしやるぞ。」と思ってノートに書くわけではなく、普段の生活の中で思ってることが自分の中で納得できる瞬間、思ってるけど本当なのかなっていうのを、普段いろんなことをしている時、何かを食べたり、見たりした時に「間違ってないだろう。」と思える瞬間があって、そういう時は言葉として残しますね。

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三浦:なるほどね。自分の中で確実になった時点で言語化する。まあ、色んな人がいるなと思いますね。不確定、不確実なものを、何とか形にしようとする、言語化しようとする人もいれば、ある程度言語化が自分の中で整理がついて改めて言語化していくという人といて。まあどちらがいいとかっていうわけではない。その人のリズムにもよるし、麻美さんも5年後には全然違う言語化をしてるかもしれないし。でも、今回タイトル先行じゃない。タイトルが決まる前から作品作りについて考えるということが行われていたわけですか?

 

田中:テーマはもらっていたので、私はどういう風にこのテーマで作品を作るんだろうと、渡された時からずっと思っていて、作品のタイトルを出してくださいっていう連絡をもらって...私、作品のタイトルってちゃんと決めたい派というか。

三浦:わかります、それは。タイトルを見てれば。

 

田中:(笑)ちゃんと決めたいというか、ちゃんと納得するところに置きたいというのがあって、それで、もらったテーマから考えていた内容をいろいろとこうだな、ああだな、とノートに書いて。

 

三浦:やっぱり書いているんだね、ノートに。

 

田中:ノートに書いて、それを見て、トータルで納得いくタイトルというか単語。私が今やろうとしている現象はどういうことなんだろうって思って考えた時に「果実の骨だ!」となって、タイトルに決めました。

 

三浦:「果実の骨」。実際は果実に骨はないわけですけど、タイトルからイメージする余白が結構あって、ああじゃないか、こうじゃないかと想像が膨らんでいくいいタイトルだなとは思ってますね。さらに後、本番まで3週間(対談日10月24日):というところで、普通にリハーサルというか、からだを動かしたりしてるんだろうか?やってなくてもいんですけど。

 

田中:やってるんですけど、まだ全部は繋がっていなくて。

 

三浦:3週間前にできてたらすごいことです(笑)。

 

田中:今回は経過をたどっていくような作品にしてしまったので...一つのものの形状が変化していくみたいな。だから要所要所で、こうなるであろうというポイントは見つけてはいるけど、つなぎの部分。そこからそこへ変容していく間を今作っているところです。

 

三浦:作品ごとにつくり方は変わって然るべきだし、変わらない人もいるだろうけど、私は結構頭から作る人なんです。意識的に4つの頭から作り始めて、創作を4つ同時進行していくわけ。その4つがある程度できてきたら、本当の頭にするものを決めていく。要するに入れ替えていくじゃないけど、頭から作るっていう感覚なんだけど、頭っていう定義にしていないような作りかたもしたりするんですね。ただ、最初こうなって、途中こうなり、最後こうなるんだっていう作り方はしたことないですね。まあいろんな作り方があっていいんですよ。

 

田中:からだの状態。状態というか、例えば水だと、液体、個体、気体っていう。

 

三浦:まあ個体→液体→気体だけどね(笑)。

 

田中:(笑)そうです。なんかその時になっておきたい状態があるいう感じ。

 

三浦:面白いね、私のソロの作り方では、絶対そういう発想は出てこないです。実際さ、場所を借りてリハーサルをスタジオみたいなところでやる訳じゃない。その時に、これも皆に聞くんですけどどうやって、どういうことをやってるんですか?どういう作りかたをして、何をしてるんだろうスタジオでは。

 

田中:今回は振付作品として作品を立てているんですけど、スタジオでは動いた時の感覚が、私が今思っている経過を辿れているのか、思ってる感覚と動いている時の感覚が合っているのか、この動きと自分の思っている状態の動きがあっているか、ということを見つける作業をしています。

 

三浦:なるほどね。

 

田中:動画で自分の動きを撮ってみたりして、動いている状態を見て、例えば気持ち悪いなと思ってる感覚で動いて、それを自分で見て、同じように気持ち悪いなと思えたら採用、みたいな。

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三浦:なるほどね、からだの中で感覚的に自分が感じている状態とその動きが違和感がないのかっていうことと、もう一つは客観的に動画で見て違和感がないのか。要するに客体化して見てる訳じゃない、動画にしてる時は。感覚的に、自分の身体感覚でそれがあってるのかあってないのかっていうことは、とても主体的なことじゃない。その両方をもうすでにやってるということなんですかね。

 

田中:M・L・Iでグループ作品を作ったりした時に、私はグループ作品の方が感覚を捉えられていた気がしていて、それは多分その人を見て動いて振付をしていたから。だから今回はそのあたりをきちっと、自分で自分に振り付けるっていうことをやりたいなと思っています。やろうとしてることが、感覚的でしかないから、そこが伝わらないと、傍目から見たら多分何にも変わらないただ20分が過ぎたっていうことになってしまうなと思って、そこを今探っているところです。

 

三浦:なんか今、話を聞いていて、今回の作品に限ってなのかもしれないですけど、果実の骨っていう20分ぐらいの作品になると思うんですけど、その作品の中で、感覚の変遷みたいなものを辿ろうとしている。で、見てるお客さんも見てる状態、見てる時のその瞬間のお客さん自身の感覚の変遷を辿っていくような作品になるのかななんて。イメージするのは自由ですから勝手にイメージさせてもらったりしてますけど、作りかたとしては面白いというか、独特の感性で作ろうとしているのかなと。もともとダンスを始めたのも遅かったんですよね。

 

田中:そうですね。

 

三浦:サクッとでいいんですけど、どういう流れでダンスに行き着いたのか教えてもらえるますか?

 

田中:ダンスに行き着いたのは、社会人になって働き始めて、合唱を始めたのがきっかけです。合唱に何度か参加するうちにミュージカルっていうものに辿りついて、バレエやジャズダンスも習い始めて、舞台に立ったり発表会に出させてもらったりというのを続けていく中で、ある時、なんかちょっと違うのかもしれないって思うようになって...というところで出会ったのがコンテンポラリーダンスですね。

 

三浦:最初に始めたものが合唱だったのは、なぜですか?

 

田中:なぜ合唱だったのかというと、幼稚園ぐらいの時からエレクトーンを習っていて、中学生ぐらいからピアノも習い始めたりして、そういうことを続けていく中で、楽譜が読めて、そして楽譜が好きだったっていうのがあって。クラシックでも合奏とかオーケストラとかの演奏をビデオとか音楽鑑賞の授業とかで見るのも好きで、音楽が好きだったんですよね。で、何かやりたいなと思った時に、たまたま市の情報誌みたいなもので合唱団を募集していて、それで「楽譜も読めるし、合唱なら!」って。歌が得意というわけでは全然なくて、ただ、一人で歌う訳ではないから「合唱だったらできるかもしれない。何かやってみたい!」と思って始めました。

 

三浦:ということは、もっと遡っていって、何で音楽をやりたかったのか。エレクトーンやピアノを。

 

田中:親が同い年の友達がエレクトーンやってるけど行ってみる?って言ってくれて。その時にピアノじゃなくてエレクトーンっていうのも面白かったんですよね。8ビートと16ビートの違いとか。トライアングルでリズムを刻んでみたりとかっていうのが楽しかった。

 

三浦:なるほどね。いやなんかね。人が何かをやりたいとか、始めたいとか、新しいことを何かやりたいっていう、そこの力みたいなもの。なぜ何かを始めようとするのかっていうところが、なぜ今踊っているのかっていうことと繋がっているような気がしていて。だから色んな人に聞いてみたいなと思って。何かをやりたいとか、やったことのないことを明日からやってみよう、ジャンプインして飛び込んでいくその力みたいなものと、そこを突き動かすものが何なのかっていうのは、とても知りたいですよね。それって人間が生きていく、生の力だと思うんだよね。生のベクトルの力。それがアートとかそういうものの根源になっているのかなと思ったりして。これは何か、いろいろこれからいろんな人に聞いてみたいなと思っていますね。

 

田中:合唱を始めた時は、何か変えたかったっていうのはありますね。

 

三浦:自分の状況とか環境とか。

 

田中:毎日の何かを変えたかった。

 

三浦:それは大きなことで重要だと思います。変わるというより、変えていくっていう。自分が何も動かなくても、物事って時間によって変化するわけですよ。季節が、春から夏になって、夏から秋になってって。何もしなくても物事って変化していく。自分も歳を取ってゆくし。時間が変化させてくれるわけですけど。「変えたい」っていうのは、自分も能動的に動かないと訪れない変化なんですよね。それっていうのは変化を自分から取りに行く状態で、待っていて起こる変化と、能動的に変化を取りに行くって全然違うことだなと思って。その瞬間が多分あったでしょうね。なんかそこは表現者の欲深さというか、そこが面白いところだなと、最近、思っているところです。でも、やっぱり自分から変化しようと思って能動的に自分自身の考えかたを変えていかないと、実は、逆に変わっちゃうんですよ。要するに矛盾するようだけど、変わらないためには変化し続けないといけない。そこは禅問答みたいになってきちゃって、話が全然ずれてきちゃいましたね。最後にこの対談を読んでくださっている人や公演を見にきて下さる方に向けてメッセージなどありましたら。

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田中:そうですね、今回の女性4人のソロを見て欲しいっていうのはもちろんあるんですけど、個人的なことを言えば、どの作品もそうなんですけど。今回特にそう感じているというか、見てくれた人に感想を聞いたり、言葉で共有したい。その場で起こることを、その場で感じて欲しいとすごく強く思っています。なので、ぜひ会場で一緒にその時間を共有してもらえたらと思います。皆さま、ぜひ足をお運び下さい。

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