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あなたがいない世界

05

​今津雅晴インタビュー

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(これまで国内だけにとどまらず海外での活動もされてきた今津さん。今日はそのあたりのお話から、少し詳しくお聞かせいただけますか?)
 
 
【今津】海外でルイーズ(ルイーズ・ルカヴァリエ)のラララ・ヒューマン・ステップスでツアーを回っていた時は、同じ作品を3年間ぐらいやっていたんですよ。
 
 
(海外で踊るようになったきっかけはなんだったのですか?)


【今津】CJ8(セゾン文化財団のプロジェクト)で最初に行ったんです。それこそ、ルイーズは憧れのダンサーだったんですよね。その頃のM-laboratoryもラララ・ヒューマン・ステップスのビデオを見て、それを真似したりしていたんですよ(笑)。そういう経緯もあってね。CJ8でのプロジェクトはカナダ人の振付家が日本のダンサーに、日本の振付家がカナダ人のダンサーに振りを付けて作品を作るというものだったのだけど。その時にはみつ(笠井瑞丈)とも一緒だったんだよね。みつの振付家と僕の振付家は違ったのだけど、僕の振付家はルイーズ・ベタール。その作品で各地を回って、日本でもやったんですよ。京都・東京、名古屋だったかな。これがカナダで踊る最初のきっかけかな。
 
 
(それはどのくらいの期間だったんですか?)
 
 
【今津】1年もいなかったかな。クリエーション期間として1ヶ月ぐらいカナダに行って、そこからツアーみたいに各地を回って。まだ20代の頃だったかな。3ヶ月ぐらいの間にカナダはバンクーバー、トロント、オタワ、モントリオール、日本は東京、京都、名古屋を回ってね。みつとはツアー中、一緒だったので、ずっと飲んでましたね(笑)。このツアー公演を見た人の中に、ルイーズ・ベタールの高校の同級生だったルイーズ・ルカヴァリエがいて、一緒に踊らないかっていう話をくれたんですよね。それをきっかけに、そのツアーの後もカナダで踊ることになって。そこから2年ぐらいツアーで回って、いろんな人と一緒にワークをしたり作品を踊ったり。その中の一つをマリー(マリー・シュイナール)が見てくれて、面白いから一緒にやろうよって声をかけてもらって。そこからカンパニー マリー・シュイナールに参加することになったんだよね。マリー・シュイナールではツアーが多くて、1週間ぐらいリハーサルした後は3か月のツアーに出て帰ってこれない。その時は同時に9作品ぐらいを回していて、プラス各作品のアンダーもしないといけないから18作品分を常に覚えてやってるっていう(笑)。ゲネプロ・本番が続く毎日だったけど、楽しかったですね。本番の前に、別の作品のリハーサルが入るとかもしょっちゅうでね。常にこう、作品が追いかけてくる感じ。ルイーズのところで初めて海外で踊ってお金を頂いて、そのあとマリー・シュイナールでも正式に契約をして、海外で踊りながら生活していくという日々を過ごして。とにかくツアーで各地を回ることが多かったから、移動して、本番して、っていうのの繰り返しの日々。ヨーロッパとかのツアーではバス移動のことも多くて、荷物をたくさん乗せることができないから一人が持ち運べる荷物の大きさが決まったりしてるの。荷造りをどれだけコンパクトにまとめるかが求められるんだよね(笑)。ある時、イタリアだったかな...、すごく素敵な器を見つけたんですよ。綺麗だなと思って、買おうかなと思うんだけど荷物になるなって思っちゃう訳ですよ。割れ物だし持ち運び大変かなって(笑)。その時に、何だかね。せっかく踊りで稼いでも、欲しいものが買えないのか...って思っちゃったりして。とにかく忙しかったんだよね。モントリオールには8年間いたんだけど、ずっとツアーに出ていて...。モントオールはすごく思い出深い場所だけれど、ホームにいるっていう感じはなかったなぁ。すごくいい場所で思い出深い場所なんだけどね。仕事する場所っていう感じはしていたね。

(このカナダに行かれていた8年の間にM-laboratoryが活動を停止するわけなんですね。)
 
 
【今津】そうなんだよね。停止しちゃったんだよね(笑)。停止する時、戻ってこれないかって三浦氏(三浦宏之)からも連絡をもらったんだけど、ツアー中だったから戻れなかったんですよね。
 
 
(日本にはいつ頃戻られてきたんですか?)

【今津】横浜の赤レンガ倉庫で三浦氏が作品を演ったのはいつだったですかね。確か2016年だったと思うんですよ。(2016年Works-M Vol.7「クオリアの庭」)僕が帰ってきてすぐだったから。それを見てね「あ、エムラボだ。」って思って、自分が入っていないエムラボを見て、まさに今の「あなたがいない世界」みたいというか。Works-Mだからエムラボではないんだけど。三浦の香りというか(笑)。三浦の香りが充満した箱の中というかね。海外から帰ってきて、三浦の香りの箱を被せられた気分。


(今津さんにとってM-laboratory踊るってどういう感じなんですか?)
 
 
【今津】日本でもいろんな方のカンパニーに参加させてもらっていたけど、それぞれに特色があって、そこに入っていくっていう感じがあったけど、エムラボは一番自分でいられた場所かなと思ってる部分はあるかな。アホなことしてもいいんだって(笑)。どちらかっていうと作品の中で外し的な存在であったところはあるし。

皆そうなのかな、丸ちゃん(丸山武彦)にしても、三浦氏にしても、さいさい(斉藤栄治)にしても、みつにしても、秀ちゃん(鈴木秀城)にしても、かねやん(兼盛雅幸)にしても、それぞれの男くささがあって、皆全然違う方向を向いているから、面白いなって。
 
 
(そこが魅力の一つですよね。)
 
 
【今津】うん。だから、海外ではエムラボの時のスタンスでやってた感じがあるね。海外に行って踊るっていうことは「あなたは何ができるんですか?」って問われていて、それを提示するっていうことが多いから。そういった意味で、エムラボは僕のホームなのかなと思いますね。
 
 
(M-laboratoryでのスタンスが海外で踊っていく時に良かったっていうことなんですね。)
 
 
【今津】そうですね。海外では「個」っていうところをすごく大切にしてくれているところがあるから。師匠が誰でも関係ないし、これまでどこで何をやっていたかも知らないし、どこの東洋人だよっていう感じがあって。だから「個」というのを持って戦っていくわけですよ。だからこそ、素でいられるエムラボでの活動は楽しかったですよ。
 
 
(M-laboratoryが活動を再開して3作品目と今回なりますが、クリエーションをしながら思ったこととか感じたこと。昔と変わったなと感じところや逆に変わらないなと感じていることなどありますか?)
 
 
【今津】そうですね、歳を取ってくると...歳を取るっていう言い方も変なんだけど、色々なレイヤーが増えて、僕に取って一番最初のレイヤーは小学校の時に親父が死んだっていうことがあったりして。色々なものが無くなってきたり、増えたり。色んなことが起こるからね。自分の子供が生まれたりとか。そういう中で、自分も変わらなきゃいけないっていうか、立場も変わるし。楽な部分で言えば、そこにずっといればいいと思うんですけど、どうしても新しいことにチャレンジしたくなってしまう自分自身がいたり。子供が生まれて成長していく中で、子供自身も色んなところで新しことに出会っていくと思うんですよ。例えば、「もの」を持ってだとか、「もの」を離してだとか、そこに「もの」があるっていうことを発見したり、出会ったりしていく様子を見ていると楽しいし、なんかもっともっとこれから先自分自身が挑戦していかなくちゃいけないことはたくさんあるんだなって思いますね。まあ、今回で踊るの最後なんですけど。自分自身でそこに留まるのは...ダンスは他の人に任せていいんじゃないかなって。
 
 
(踊ることをですか?)

【今津】そう、踊ることを。結構、若い頃には早く回るとか、高く飛ぶとか、早く動くとか、そういうことにすごく拘っていたんです。やっぱり歳を取ってくると、自分より早く動く人は出てくるし、自分より高く飛べる人は出てくるし。体が衰えてくるっていうのは面白いことではあるんですけどね。だから高く飛んだり、早く動いたりっていうことは俺じゃなくてもいいんじゃないかなって思うところは正直あるから、それよりも自分にしかできないところで勝負していく必要がある気がして。それで自分で会社を立ち上げたりしたんだけど、そういうことは自分でしかできないことだから。日本では、いいダンサーが育っていく環境はある中で、その人たちがその後、踊っていく環境っていうのは、日本と海外とは大きく違っているなと感じているんです。自分が踊っていたモントリオールやブリュッセル、スイスとかのような環境が、なぜ日本では作られないんだろうと思っているところがあって。日本のダンサー自体も今の状態に頼りきっているっていう現状があるんじゃないか、だとしたら尻を叩くじゃないけど、そういうことをする人間が必要なんじゃないかと思っているんですね。違う考え方でお金を稼ぐ手段を持たないとダンサーとしての希望が持てないんじゃないかと思って。例えば子供を持った時に、ダンスをやめますってなったら悲し過ぎるじゃないですか。そういう意味ではもっと希望を持ちたいし、子供がダンスを始めた時に、ダンサーを憧れの存在にしたい。今の状況だと「あの人みたいに踊りたい」って子供がいうと、親は「でもダンサーは食えないからやめとき」って言われてしまう。まあ、それは間違いではないじゃないですか、今の状況だと。だから何かで絶対に稼げるダンサーを作りたいと思っているんですね。

(今のお話を聞いて、踊ることのかたちっていうことをすごく考えましたね。今津さんが踊りをやめると言われた時に、でも踊っているじゃないと思ったんですよね。その、生きていくために。)
 
 
【今津】そうそう、だから体を動かさなきゃ踊りにならないっていうこと自体も全然違うと思うし。ダンスを踊るっていうことは生きることだと一緒っていうところもすごくあるし。そうなんですよね。だから今回...一つの言い訳に聞こえるかもしれないんですけど、この歳になって、例えば贅肉が付いてきてっていうところも...。例えば舞踏のような、体の研ぎ澄ませた形もあると思うんですけど。でもリアルに生活する中で、贅肉が付いてきたその人たちが踊らないと現実離れしているっていう感じがして。現実離れしているものを見せたいっていうんであれば、ダンスじゃなくてもいいんじゃないかなと思うところもあったり。でもそこらへんは毎日葛藤しているから。でも本当になんか、このグループにいれてよかったなと思うし。自分らしく一番いられるところかなって思うし。でもまあ、さいさいともう一度踊りたかったですね。
 
 
(本番に向けて、一言いただけますか?)
 
 
【今津】「あなたがいない世界」っていうものを考えた時に、全てそのような気がしていて、あなたがいない世界に対して残像を求めるからそこには愛があるんだと思うんですよ。ここにいた人に対して、その思いだけが残っているっていうのは本当に日常生活の中でたくさんあると思う。例えば振付も、あの時の振付家はこういう風に言ってっというところからそのフォルムを残していったり、あいつこの振り好きだったな、ってその振りを入れていったり。そう思うとダンサーとかダンスとかって思いで作っていることがすごく多くて。それは日常生活自体もそんな感じで、あいつ今なにしてるかなとか、親父だったらどういう風に言うかなとか。それは想像だったり、残像であったり、理想であったりすると思うんですけど、そういう影みたいなものと向き合っていくことってたくさんあると思う。舞台上でそこに向き合う。お客さんにも向き合ってみてほしいなと思いますね。舞台芸術って自分自身の残像を追っていく作業だと思うし、それに対してお客さんとの共鳴作業だと思うんですよ。ある一つの風景を思い出した時に、わかるわかる、その気持ちわかるっていうことは、それって一つの残像を共有しているっていうことで。自分の中で残像を一つ作って、それがあなたであって私であってっていうところだと思うんですよ。それが投影できたらいいなと思います。

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今津雅晴

金森穣、木佐貫邦子、北村明子、近藤良平(コンドルズ)、島崎徹、勅使河原宏、野田秀樹らの国内外作品、様々なジャンルの作品に参加。'99年より自主作品に取りかかり、独特独自の世界観を追求する。

'05年文化庁派遣在外研修員としてモントリオールに滞在。Louise Lecavalierとの作品にて世界各国で好評を博す。'08年Company Marie Chouinardに参加。国境の枠を乗り越え、身体の可能性を常に挑戦し続けている。

'12年7月より活動拠点を日本に移し自身のユニット『猿目』を結成。

​株式会社サルディを設立。

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