おまえとおれ企画

風早孝将 × 三浦宏之 インタビュー

いよいよ来週末開催されるWorks-M experiment space Vol.1。今回のexperiment spaceが初のお披露目となる おまえとおれ企画。演劇とダンス、異なるフィールドで活動を続けてきた風早孝将と三浦宏之。

そんなお二人にお話を伺いました。

 

【今回のおまえとおれ企画は、三浦さん発信の企画とお伺いしているのですが。】

 

三浦 そうですよ(笑)。

 

【初の共同製作ということですが、元々お二人の接点というか、これまでに別の作品で一緒だったことがあったのですか?】

 

三浦・風早 (ほぼ同時に)ない。ないですね。ないない。

 

(全く?)

 

三浦 多分、天神山文化プラザ(岡山)の企画で「あいまに」(2012年)という作品を作ったんですけど、その時の関連ワークショップに、風早さんが参加してくれて。そのぐらいですよね?

 

風早 そうです。そうなんですよね、実は。

 

一同(笑)

 

(そうなんですね。)

 

三浦 そう。あとは、去年LOOP⑩の企画で「ダンスについて語る」っていう内容でレクチャーをした時と、コルヴスのパフォーマンス(Works-M主催企画・2017年1月)でのアフタートークでご一緒しました。それまで風早さんとは、普段ちゃんと話したことはなかったのだけど、風早さんと話をするのは楽しいなと思ってたんです。だからアフタートークのゲストをお願いしたり、僕のレクチャーで一緒にお話しできませんか、とお願いしたんですよね。でも、それは何か一緒に作るっていうことではなく、話をするっていうだけ。だから、二人で何か作品を作ったりっていうのは今回が初めてですね。

 

【今回の作品「最後の二人」では、作・構成・脚本・演出・振付・出演の全てをお二人でされていますが、演劇とダンス、それぞれのフィールドで活動してきて、お二人ともご自身が持っている手法というか、表現に対する考えといったものがあると思うのですが、おまえとおれのクリエーションが始まり、全てを共同作業でやることに対しては実際のところどうだったのでしょうか? 】

風早 三浦さんがどのように思われているかわからないんですけど、私は三浦さんからそんなに遠くないところにいる気がしていて。そういう意味で、まあ、最初にお話しした時に出てきたアイデアみたいなものを元に、三浦さんが構成を加え、それに対して僕の中で思ったことを言ったりしたぐらいで。なので、二人が持っているものを一つにというよりは、割と親和性の高いところでクリエーションができてるような気がするんですけど。

三浦 うん、そうですね。

 

風早 うん。

 

三浦 僕も一緒で、結局まず作品を作るっていう時に、演出家がいて、脚本家がいて、振付家がいて、出演者がいて、照明家がいて、音楽家がいて、とかっていう仕組みに疑問を持っていない人が多い気がしていて。その仕組みによって舞台の作品っていうのが作られていっているわけですけど、その仕組みを、うーん...一回無くしてみている、っていう状態なのかもしれないですね。だからまあ、どちらかが主導して作ったりっていうことでもなく、僕が風早さんに「何か一緒にやりましょう」って言った時には、すでに風早さんもおっしゃっていたように、お互いの考えというか思考が近いところにあるっていうのを感じていましたね。モノを、舞台の作品を作るっていうことが、どういうことなのか。僕も、作とか振付とか構成とか演出的なこととかっていうことを自分の作品でやってきたし、風早さんも自分のやり方で脚本を書いて演出をされて、あるいは、役者として舞台に立たれてきて、お互いその自分の方法論を培ってきているんだけれども、一回それをね、フラットにして、人とモノを作っていく時の役割分担をごちゃ混ぜにしているところはあるんですね、今回のクリエーションでは。色々アイデア出しみたいなことを今二人でやっていて、どちらかが作っているっていう感覚は始めてみるとないですね。お互いに作っている状態。で、想像していたよりは、すっと上手くいってる感じはするんですね。

 

風早 うんうんうん。

 

三浦 そこらへんは何なんだろうなっていう。風早さんが僕と近しいところにあるんじゃないかっておっしゃったところを、僕も同じように感じているんで、そこがいいところなのかなと思っていますけど、今作っていて。うん。

 

風早 (首を縦に振りながら)ですです。ですです。(笑)

 

【三浦さんは大学の時に演劇をされていた経験があるということなのですが、風早さんはこれまでダンス作品に出演されたりしたことは?】

 

風早 えーと、一つあるのはbitter quartet+(ビターカルテット:岡山)に出演させていただいたことですね。その時には大学のダンス部出身の方々と一緒にさせていただいたので、割とがっつり踊るシーンもあったりしましたね。それ以外は、三浦さんのWSに出たぐらいで...あとはほとんどないですね。

 

【今回の作品では、言葉と身体、双方からのアプローチを試されていると思うんですが、今やっているような身体からのアプローチというのは、風早さんが持たれている演劇で培われた感覚と通じるところがあったりするのですか?】

 

風早 あぁ、あります、あります。なんかその、広く言えばダンスというものの中の一つなのかもしれないし、ダンスともまた違う感じもしているんですけど。私個人は最近演出をすることが多いので、演劇の演出をする中で、音とかリズムに合わせて何かをやるっていうことではなく、振りでもないんですけど、そういう「見たら面白いんだろうな」っていう人の動きを俳優さんに演出することがあるんですが、そういう時の感覚に近い部分がありますね。逆に、音楽に合わせて、曲に乗って振りを合わせてってなると僕は全然できないと思いますし、それに対してあんまり興味もないかなっていう感じですね。

 

【今、風早さんがリハーサルで試されている動きっていうのは、日常の中にある人の持つ身体性の面白さっていうのが発想にあると思うんですけど。】

 

風早 演劇では今回の作品ほど動くところまではしていないですけど(笑)。近いものはあるなと思っていますね。

 

【今回、お互いが主導を持たずに、二人の思う世界を重ねあわせていくような感じでクリエーションが進んでいっているように感じるのですが、これまでにはなかった方法なんでしょうか?】

 

三浦 ダンスというジャンルでいうと、そういう作り方をしたのは、松山(愛媛)の星加さん(星加昌紀氏:星屑ロケッターズ主宰)との「星三っつ」は、要するに共同製作っていう形でしたね。どちらかが主導ではなく、ことの始めから、あーだ、こーだとアイデア出ししながら、そこから結果振付になりダンス作品になっていくんですけど...、イーブンな関係性で作品を作るっていうのはそれぐらいですかね。それ以外だと、前に福岡と利賀村(富山県)両方で上演された演劇の振付をやったことがあったんだけど、それは演出家と振付家の役割は分担されている状態で一緒に作ったので、やっぱりそれは、共同ではなかったですね。風早さんと今作っている作品が、「演劇であるのか」「ダンスであるのか」っていうのは、結果僕はどちらでもいいんで。で、どちらでなくてもいい、というところで考えていて。そうですね、要するにダンスっていうジャンルで星三っつは作ってましたけど、ジャンルを越境したところで、何かを共同して作っていうのは初めての状態ですね。

【風早さんはこういう異なるジャンルとの共同製作というのはこれまでにありますか?】

 

風早 初めてです。これまでしたことないですね。

 

【演劇の世界で、こういうやり方をされているのは少ないんでしょうか?】

 

風早 うーん。まあ、やってる人はいるのかもしれないですけど、あんまりないと思いますね。まあ、そういう観点で演劇やダンスを捉えてる割合もあまり高くないかもしれないですしね。

 

(観点というのは?)

 

風早 ある種のカテゴリーの中だけで考えられてる人が多いのかなという感じはします。特に岡山においては。

 

(演劇なら演劇。ダンスならダンスというようなことですか?)

 

風早 まあ、それが一つの文化として考えているというか。うまく言えないんですけど、枠から外れたところにあまり関心がないようにも思えるし。

三浦 うんうん。そうですね。これはもちろん岡山に限らずだと思います。東京でも、まあ日本どこに行っても、やっぱり誰しもそうだと思うんですよね。良い悪いの問題じゃなく、自分のやってることに興味を持っている。自分のやりたいことに興味はあるけれども、自分のやりたいことじゃないことにはやっぱり興味はないじゃないですか(笑)。例えば僕が、テレビのワイドショーに興味がないように(笑)。興味がないっていうのはあると思うんですよね。自分のやりたい事以外に対しての興味。でも、好奇心は失いたくないなと思うんですよね。興味はなくても、好奇心を持って向かう。自分の興味のあるもの以外にも、好奇心を持って向かうっていう必要はあるかな。で、それに向かったら、自分の興味のある、自分のやりたい事の幅も広がるような気がするので。

 

風早 その通りですね。

 

【リハーサルを見ていて、この作品は演劇・ダンス、どちらにも寄っていないなという感じを受けます。演劇でもなく、ダンスでもない、その中間というか、別の他のものというか...その魅力を引き出す言葉を...お二人から引き出したいのですが(笑)。】

 

(一同笑)

 

三浦 なんでしょう。新しい言葉を作れればいいですよね。芝居・演劇・舞踊・ダンスっていう言葉でなく「ダン劇」とか。わかんない。

 

(一同笑)

 

三浦 安直だけどね。

 

【どこにも属さない感じがするんですよね、おまえとおれは。演劇とダンス。円と円が重なりあうようなところが必ずあると思うのですが。】

 

風早 数学でありそうな。

 

(そうです。よく見る二つの円が重なっている...)

 

三浦 ベン図。

 

(ベン図!)

 

風早 ベン図ってあったような気がします。

 

【まさにベン図の重なりあった部分が、おまえとおれだと思うのですが、今回の共同作業で言葉と身体による表現の違いというか、気づいた点や、新たな発見みたいなものはありますか?】

 

風早 もともと、岡山で演劇をやっていく中でも、割と視覚的なことを重視しないといけないなっていうことを思っている人間なのですが。あんまり言ってネタバレになってはいけないんですが...(笑)「最後の二人」の冒頭のシーンなどは、その、今更ながらにおもろいなと、すごく(笑)。非常に身体って雄弁だなということを、まだ作っている過程で触りの部分ではありますけど気づかれされています。で、本当これも良い悪いじゃないんですけど、ダンスを観てる時に、ある種の技術力の高さばかりが先行して入ってきてしまって、それはそれで美しいんですけど、どこか自分とは違うジャンルで、まあ特にそれ以上の関心が生まれないこともあったりするんです。でも今回の作品では、僕はすごい体硬いんですけど、まあその、どういう体であれ、雄弁に語ることができるのかなということを感じましたね。またそのことに対して嬉しくも思います。それから、言葉でも演劇ではセリフをきちっと伝えることが当然必要な部分でもあったり、求められているということもあるのですが、不完全さであるとか、聞けないこと(聞こえないこと)がまた醸し出す背景というか豊かさというのも、やっぱり今回やっていて感じたりすることがあるので、まあ、結構発見だらけというか、そういう感じは持っています。こういうのいいなっていうのもやっぱり思ったりしました。僕も本当に、昔、学生の頃とか、きちっとしないといけないように思ってたし(笑)。岡山でやってる時も、まだその部分を引きずっているところもあるんですけど...やっぱりある程度のきちっとしたものは、もちろんそれが必要な時もあるので、しないといけないなという思いもあるんですけど。だけど「きちっとしないといけない」、「絶対そうしないといけない」、っていうことは多分ないんだろうなっていうのは、ここ1.2年ぐらいだいぶ感じてきていることなんです。そうじゃないほうが多分、もっと伝わるもの、伝わるっていうか感じることも増えてくるかもしれないしとか。もっと多分複雑なことを感じるというか、表現できたりするものなのかなと思ったり。

 

(きちっとしないことで。)

 

(一同笑)

 

(きちっとしないところに、複雑さが生まれる?)

 

風早 うまく言えないんですけどね。きちっとすることで、「きちっとしてるね」っていう風に思われるのも嫌ですし。

 

(一同笑)

 

風早 きちっとしてないほうが、「きちっとしてないね」と思うよりも、違うことを思ってくれたりするのかなと。きちっとしてると、「きちっとしてるね」と思われるけど、きちっとしてないと「きちっとしてないね」っていうことではないことを思ってくれるかもしれないなとか。ちょっと今まとまってないですけど。

 

(三浦さんはいかがですか?)

 

三浦 えっと、風早さんが感じられたこととリンクするけど、内容は全く違って。やっぱこれ面白いんだなって思うのは、言葉。言語を構成していくっていうこと。今クリエーションでは、風早さんと一緒に「どうなるんだろうこれ!?」って思いながら、こう、不思議なことをね、やっているわけなんですけど。そこで、やっぱり、文章っていうか文字っていうか、その、視覚的な言語。まず、書かれた文字を紡いでいくじゃないですか。そこで、言葉を自分で作っていく、言葉を並べていくっていうことを久方ぶりにやっているんですけど、やっぱりすごく面白いなと改めて思いますね。ずっと身体に向かってきて、本当ここ2.3年です、僕も。もちろん、ダンスの作品でテキストを書くっていうことはあったんですけど、そのテキストはそのまま言語表現として表現化されるわけじゃないので。ここ2.3年ですね、身体にずっと向かってきた中で、身体に最終的に集約させていたものを、言語による表現っていうところ...言語と身体の結びつきにね、すごく向かい始めてきたんですね。それをやるにあたり、それをこう「じゃあ形にしてみよう」っていう時に、今回、風早さんと一緒にっていうタイミングがあって。で、改めて作っていく段階で、言葉を、言語を並べて、言語による表現を作っていくっていうのは、すごく面白いなと感じていますね。風早さんは最初、身体は雄弁だと言われたように、やはり僕も言語は文字通り雄弁であると思うんですよね。で、そこが多分、「最後の二人」っていう作品の、結構中心だったりするのかな。体と言葉、身体と言語、っていうものを、お互いに今までのイメージとは別の角度から見てみようということをしているのかなという感じですね。多少情報は出ているのかもしれないですけど、今回の作品は「言語と身体が失われた状態」っていうところから発想、着想しているんです。私はずっと身体に向かってきて、風早さんも、もちろん身体に向かっていたでしょうけど、まあ基本言葉を喋る。言葉を紡いでいく、言語に向かうということをされてこられて、その二人が一度身体と言語を忘れてもう一回、身体と言語を考えなおしてみようかっていうようなことになっているのかなと思ってますね。実際それができていると思います。もう一つ言うと、身体に対しても言語に対しても、さらに興味の深みが増しているっていうか。あぁ、まだまだわからないことがいろいろあるな、と思うし。やっぱり未知のものに...未知のものが知りたいじゃないですか。宇宙ってどうなってんだみたいな話もクリエーション中に出てきたりしたけど、やっぱりそういったもの。イメージとか想像で「どうなってるのこれ?」っていうものに、やっぱり冒険して向かっていきたいですよね。それを言葉と身体を使って「身体って本当はなんなんだろう」「ことばってなんなんだろう。」って、こうやって話ししてわかって理解しあっているけれども、まだまだ奥深くてわからないことだらけですから。伝わっているようで伝わっていないこともいっぱいあるでしょうし、伝えたいと思うけれども、うまく伝えられないことであったりとか。えーと、なんかそういったことに対して、作品を作る、上演・発表するっていうことで、私と風早さんの間で向かい合っていきたいですし、作品を発表していく段階に至ったら、私たちとお客さんとで「本当、身体ってなんだろう。」とか、「面白いね、身体って。変だよね。」「言葉ってなんだろう、よくわかんないね。」っていうようなことを、我々とお客さんとで好奇心を持って探っていきたい。そんな感じですね。

【言葉と身体を再構築していく。新しい言語と新しい身体を手に入れていく。新しいコミュニケーションということでしょうか?】

 

風早 人が二人いるということはどういうことだろうか、ということなんですかね。

 

(繋がるというのは二人でないと起こりえない現象というか。一人だと、身体も言葉もどうなっていたのか。)

 

風早 そうですね。一人だと対象となるものがいないですから...一人の世界は寂しいでしょうね。

 

三浦 死んじゃいますね(笑)。

 

風早 多分死んじゃいますね(笑)。

 

三浦 一人ぼっちだと...意志的にね。意志的に死んじゃう。要するに自殺するとかじゃなくて。その...意志的にはなんか死んじゃうなとは思うね。ただ、まあ命を絶つっていうことではなく、死んじゃうなって思う。だって、一人なんてさ。まあ、生まれてきた時が一人で、死んで行く時も一人だっていうこともあったりするんですけど。でも、生まれてきた時は、一人じゃないですからね。父がいて母がいるから生まれてきてる訳です。その父と母が、まあ何らかのコミュニケーション、出会ってコミュニケーションして、何かが起こって、で、一人の人間が生まれてくる。コミュニケーションの産物ですからね、人間の体は。で、死んで行く時は、ひょっとしたら一人で死ぬ場合もあるかもしれない。生涯孤独な、家族もみんな死んじゃって、自分が108歳で結婚もせずに子供もできずに、お父さん、お母さん、兄弟みんな死んじゃって最後を迎えるっていう時は一人なのかもわからない。でも、そういうわけでもないのかも。まあ、今孤独死っていう問題がありますけど、そういうものに対してもやっぱりそうあってはいけないなと思うし、そうなってしまってる世界はやっぱり悲しいなと。一人は悲しいなっていうことはやっぱり風早さん同様思いますね。

あれ、なんだっけ。

 

(最後の二人から生まれるコミュニケーションの話ですね。)

 

三浦 最後の二人が、世界で最後の二人が、例えば、なんか地球の大変動で人類が滅亡しちゃって、なぜか僕と風早さんだけが生き残ったら、最後の二人としてね。どうなってしまうんだろうっていうのはあるよね。

 

風早 そうですね。

 

三浦 どうするんだろう(笑)

 

風早 どうしましょうかね(笑)。

 

三浦 っていうことですね。わかんないですけど。

 

【全てを手放したところから、もう一度言語と身体を獲得していく、新しい言語を作っている感じというか。リハーサルを重ねていく中で、新たな言語ではないですが、新たなコミュニケーションの方法が作られていっている感覚はあるんですか?】

 

風早 多分、そう感じてやったほうが、そうなっていくことが最終形の理想なんでしょうけど、ちょっとまだそこまで至ってなくて。まだ、考えたり探りながらやっている感じですかね。少なくとも私は。

 

三浦 新しい言語を生むっていう、作るっていう。新しい言語を作るのは相当大変ですよね、エスペラント語とかって言って。

 

風早 エスペラント語?

 

三浦 うん、あの、世界共通語を人工的にこう、要するに韓国語のハングル文字って、あれ作られた文字ですよね。

 

風早 はいはいはい。

 

三浦 あのような感じで、言語が分かれちゃっているものを、いつ頃からだったかわかんないですけど、エスペラント語っていう世界標準語を人工的に作るっていうことがあるらしく...でも実際全人類がその言葉を話すところまではまだ至っていないですよね。新しい言語を作るっていうのは、それぐらい難しいこと。だからそういう、今やろうとしているのは、そういった意味での新しい言語を作るっていうことではないんですよね。ただ、私達は日本語という文化・言語圏に生きてて、日本語を体得していったじゃないですか。赤ちゃんの時から、だんだんと。その時にどうやって覚えていったのかとか、なぜそれを自分のものとして喋れるようになったのか。要するに、聞いて喋り出すわけですから。それを自分の言語として体得して、借り物ではない自分のものにしていくわけです。それが、子供の頃って今みたいな考え方を持ってないから、それが自然と起こってきて、なんか今こうしているように、いろんな言葉を使って喋るようになってる。じゃあ、それをどうして自分のものにしていくことができたのかっていうのは、ちょっと考えているところなんです。で、それを形にね、リハーサル、稽古、クリエーションしてる時に、色んな方法を探りながら、結果作品という形として立てようとしているわけなんです。ただ何かを形にしようとしている意識ではなく、あのね、見つけようとしているんですね。何が出てくるのか。風早さんと創作の時間を共にして、家に帰って、二人とも忙しい中作品のことについて「うーん」ってちょっと考えてみたりして。それでなんか、手紙でやりとりみたいなことしたり。で、お互いにシナリオ書いて共有してみたり。そこから何かを見つけたいんですよね。で、見つけたものをこれ見っけたよってお客さんに見せびらかしたい(笑)。

 

風早 笑

 

三浦 「これ、見っけた!」っていう。なんか例えば、道端歩いてて、風早さんみたいな顔の形をした石を見つけたらさ、おそらく僕はそれを拾って「これ見つけたんだよ。」って今日リハーサルに持ってくると思う(笑)。そういったような、なんかその本番まで行き着く過程で、風早さんと二人で歩いて、いろんな寄り道しながら「あー、こんなもん見つけた!」っていうようなことがあったり、「これってどうなんだろうね。」みたいな感じで話しながら、何かを見つけたら「これちょっと商品陳列しよう!」っていう感じで。結果まあ作品なのである形には至るんでしょうけど、形を求めているわけではなくて、見つけものをしたいっていう感じですかね。だからまあ、模索してるっていうところもありますけど。

 

(風早さんは何かありますが?)

 

風早 質問ってなんでしたっけ?

 

三浦 今しゃべったよ、僕の前に

 

(あ、そうか。すみません。聞いているうちに、頭の中でぐるっと話が一周して違うところに...)

 

三浦 そう、それが言葉ですね。生きてるからさ。皆こうやって一つの質問されて、風早さんが喋って、僕が喋ってると、もうその質問から違う次元にいっちゃってるじゃない。でも会話って、なんか一周してさ、「そうでしたね」ってなるよりも、「あれ?なんだっけ?」ってなる、そういった状態とかもやっぱり面白い。会話が流れて行き着くところがないまま、ずーっと続いていくっていうのをどうすれば書けるんだろうかっていう。脚本を書いている時って、要するに脚本家、ライターみたいな作為が入るから、なんとなくね、話の最後をこう「この二人がこう喋ったらこうなるでしょ」みたいに、なんとなく無意識にこういう風になっていくべきだっていうのがあって、要するに神みたいになって操作するわけですよ、会話を。それはもう、最初から形に入っていこうとするような感じなんだけど、実際日常の会話って、わけのわからないところにどんどんどんどん進化していって、生きているから、捕らえどころがないじゃない。だからそういうものを見つけたいよね、っていうことですよね。

 

(すみません、もうこんな時間になっていました。(ただいまリハーサル途中))

 

三浦 はい(笑)。あのね、皆さん、今稽古の時間を削って話してるんです(笑)。

【そろそろ締めます。最後に何かありますか?】

 

(一同笑)

 

三浦 突然質問がアバウトに(笑)。

 

風早 まあ、何が起こるかわからないですけど、是非楽しみにいらっしゃってください。

 

三浦 うん。何かは起こりますね。要するに、見た人の中に何かが起こるといいなとは思いますね。僕達が何かを起こしてやろうという気概で作っているわけではないですけど。

 

風早 うんうん。

 

三浦 何かが、何かが起こるといいなと思ってますね。私は今この創作が面白いんです、かなり。ですので、一緒に楽しんでほしいなと思います、お客さんにも。よろしくどうぞ、お願いします。